1237804172**いまさらブログの、そのいきさつ。

イタリアに住んでいるのに、歴史やアートにそれほど深い造詣があるわけでもなく、ワイン通でもなく、チーズの専門家でもなく、パスタも別においしいとも思わず、さらにファッションにも全然興味ないから、別にブログなんて書かなくていいや、と、ずっと思ってきた。それに本でも雑誌でもブログでも、イタリア人すら知らないほどの情報(むしろ、日本のイタリアン紹介記事を読んで、イタリア人が、ふむふむ、そーだったのか、と勉強するくらいだ)が、あふれているし、まあ、わたしが書く必要もないか。とも思ってきた。
それにだいたい、わたしは日記なんて書いたことがない。自分に毎日起こることなんて、どーでもいい、と投げやりだからだ。わたしの日常なんて、他のひとの日常とあんまり変わらない。むしろ退屈なくらいだから、そんなの読んでも他人はおもしろかないだろう。

そのうえ、イタリアに居るというのに、なぜだかわたしが最も力を注いでいるtibet issueにしても、イタリア語でも、英語でも、もちろん日本語でも、またはチベット語でも、もはや情報収集の迅速さは、ジャーナリストを超えると思われる世界のサポーターたち、アクティビスト(実際、チベット内部で起こったことがマスに乗るのは次の日だ)による、記事がネットに張り巡らされているから、わたしがわざわざ遅れ、遅れで情報を流す必要もない。長い間、そうも思ってきた。 

が、一週間ほどまえのこと、N.Y.在住の若く、力強く、美しいドキュメンタリー作家とメイルのやりとりをするうち、「ブログ、いいですよ、書いているうちに頭のなかのいろんな情報が、整理されますよ、ハリシュマさんもブログを書くといいですよ」
と勧められ、ハッとしたのだ。
その通りなのです。実はこのごろのわたしの頭のなかは、いままでインプットしてきたローマとわたしと日本とチベットと、かつて過ごしたバリ島の情報が、まったく整合性なく、ぐちゃぐちゃに散らかっている。それも政治的なことや、宗教的なことや、人道的なことや、さらに日常のつまらないこと、すべてが同じスペースでひしめきあっているものだから、アウトプットすると互いに矛盾が出てきたり、論理に欠けていたりして、反省することも多かったのだ。
あ、そうか。ブログって頭を整理するためにも使えるんだ、といまごろ気づいて、ではやってみよう、やってみようじゃないか、彼女の勧めにしたがって試してみることにした。

ともかく書き始めてみましょう。
まずはイタリアらしい写真を一枚

オオ、なんてバロック。こんなにごちゃごちゃしているのに
見事な調和を見せる建築。こんな風に頭を整理していきたい。