パルデン・ギャツオと『雪の下の炎』

間もなく日本では、楽真琴監督のパルデン・ギャツオ師のドキュメンタリー『雪の下の炎』が封切られることと思う。
この映画は、つい最近、トリノのフィルムフェスティバルで上映されて、絶賛を受けた作品だ。この映画の評判を聞きつけて、ぜひ観たいと集まった人々で長蛇の列ができて、立ち見を出しても会場に入れなかった人が続出した。わたしの友人もその一人で、のんびり会場に向かって結局中に入れず、あとからその評判を聞いて、心底悔しがっていた。
実は楽さんのことは、噂でだけ、ずいぶん前から存じ上げていた。2006年のこと、トリノ冬季オリンピックが開催された際、2008年の北京オリンピックに抗議するために決行された、パルデン師と二人のチベットの青年による13日間のトリノでのハンガーストライキを、撮影にいらしていたのを、風聞で聞いていたのだ。
オリンピックの開催中、わたしはローマで友人のDLやDNとともに集まっては、オリンピックを観ながらいろいろな話をしていたのだが、そのときDLはさかんに、「パルデン師は高齢だから」と心配していて、そのときのわたしたちは、何も起こらなければいいが、と心から祈っていた。のちに無事が伝わりほっと胸をなで下ろしたのである。やがてその抗議行動はニュースにもなり、イタリアでも大きな話題になった。そのころチベット問題は今ほどは、イタリアの人々に知られていなくて、パルデン師と、チベット青年ふたりのその勇敢な抗議活動にマスコミも注目し、若い年齢層をターゲットにした人気番組IENAもパルデン師、そしてチベット問題を大きく取り上げた。
その後、数人のチベットの青年たち、またサポーターの人から、「日本人の映画監督がパルデン・ギャツオのドキュメンタリーを撮影しにトリノに来ていた。とても可愛い女性だった」と伝え聞き、え?ほんと?日本人?しかも若い女性?と驚いた。日本人の女性でパルデン・ギャツオという、伝説の巨人をドキュメントするなんて、なんて勇気のある人だろう、いったいどんな人なんだろう、と思いつつ、時間が流れたわけである。
パルデン・ギャツオのことを多く語る必要はないだろう。彼の著書『雪の下の炎』、そして楽さんの映画を観ていただければ、お分かりになっていただけることと思う。『思想犯』として、中国の獄中で現在も継続して行われている、悪鬼の仕業としか思えない、残酷で凄惨な拷問を33年間耐え抜いた『行き証人』である。
アムネスティ・イタリアが彼を中国政府の管理下から解放することに成功したという経緯があり、師はたびたびイタリアを訪れるので、わたしも何度かお目にかかる機会に恵まれた。お目にかかるたび、師の周りに漂う高潔な空気、何もかもを見通すような深く、透明な視線に圧倒される。またときおり見せる、すずしげで無垢な笑顔がとてもチャーミングだ。その笑顔から、屈辱的な、非人間的な拷問を33年間も受け続けた僧侶であると、誰が想像できるだろう。チベットの強靭で気高く、清潔で慈愛に満ちた精神、魂を体現する方である。まさに奇跡のような方だと言いたい。
こんなエピソードもある。モッツアレッラが大好きだという師にThuptenが「ゲシェラ、モッツアレッラが好きだなんて、それは『執着』ですよ。ゲシェラはまだ俗に執着あるんですね」(なんてこと言うの!)などという冗談を言っても、ニコニコ笑って「うん、モッツアレッラはおいしいよ。やっぱり」とおっしゃる。そのあと、師を囲んでいた青年たちはどっと笑って、師もその様子を見ながら、やっぱりニコニコ笑っていらした。
今回トリノのフィルムフェスティバルで通訳を担当したSangpoは、「いやあ、すごい。パルデン師はすごい」と感嘆していた。とても77歳の高齢とは思えないエネルギーで、どんなに夜遅くなっても、朝は4時に起床なさり、寝ぼけているSangpoを「さあ、出かけるよ」と促されるのだそうだ。「僕よりも全然若くてエネルギーがあって、すごいね。チベット仏教って(おいおい、君の文化でしょ)。精神を磨くとあんなに強くなれるものかと、勉強になった。いろんな話も聞くことができたし、大変貴重な経験だった」と言っていた。そう、師のような素晴らしいお手本があると、わたしたちももっとしっかりしなければ、と思うのである。

楽さんとは、今回、ひょんなご縁から電話でお話する機会に恵まれた。いったいどんな女性だろうといろいろ想像していたが、電話だけで一気に彼女のエネルギーが伝わってきて、とても嬉しくなった。はつらつとした、はっきりと意思表示をする、しかし豊かで、温かい感性を持った正直な女性だと察した。彼女と話しながら、ああ、未来は明るいなあと力をいただいた次第。このような女性にはどしどし頑張って、びしびし前に進んでいただきたいと思うのだ。

実は映画を、ある方のご好意で事前に観せていただいた。大変な、映像にするには難しいテーマを扱いながら、瑞々しい映像と全編に溢れる愛情、日頃クールで、批判的なわたしが不覚にも泣いてしまった。素晴らしい映画です。パルデン師も素晴らしいが楽さんも素晴らしい。たくさんの、ほんとうにたくさんの人々に観ていただきたい映画だ。

知恵で磨き上げられた精神はこんなに高潔で美しくて強い。
それが、チベットの金剛、すなわち『ダイアモンド』の知恵なのである。

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