パンチェンラマ報道から一日経って。

昨日のcorriere紙の報道に、われわれは愕然とした。


チベット問題を知らない人々、しかも発言者がどういう経歴を持った人か知らない人は、ああ、そうなのか、と鵜呑みにしてしまうだろう。しかも発言者が中国人でもなく、チベット人でもなく、第三者的な立場にいる日本人である。ここイタリアでは日本人のイメージはすこぶるよく、嘘をつかない、行儀がよく、忠実で勤勉、そのうえおとなしい人々(というか、イタリア人を相手に饒舌に語ることは至難の技であるから、必然的に日本人はおとなしくなる)と一般的に認識されているから、信憑性のある発言だと捉えられたに違いない。公開レターを送るなりなんなり、Corriere紙には何らかの抗議をする必要があると思われる。おそらく、すでにこちらのCommunityの青年たちや、サポートグループがどのような形で抗議をするか、考えていることだろう。


このようにマスコミというものは、簡単に人心を攪乱するものなので、報道に接する際は内容を確認するなど万全の注意が必要なのだ。特に中国に関する報道は、経済関係にしても、政治関係にしても疑ってかかって間違いない。真実だったら、儲け物ぐらいの気持ちでいるとよいと思っている。


そしてもし万が一、このジャーナリスト氏の言うことが真実であったとしても、落ち度は100%中国にある。宗教的重要度を抜きに考えても、たったの6歳の子供を拉致して監禁し、外部と全く遮断した生活を送らせたうえ、病死させてしまったのである(北朝鮮による拉致問題がある日本人にとっては、とてもデリケートな内容だ。実際に治療に従事した、というキューバだか、ベネゼイラだかの医師団が事実を告白して、確固たる証拠を公表してはじめて、議論されるべきことである)。しかも、去年だか、おととしだか忘れたが、中国政府筋から「少年はすっかり成長して元気に暮らしている。コンピュータが大好きな青年になった」というような情報が流れたこともあった。ということは、それは真っ赤な嘘だったということでもある。


もし裏読みするならば、生きている、と言い張ってきた手前、いま、この時点で、もはや中国政府自ら、北京のパンチェンラマはたった一人である、と「権威づける」ために(なんとかして権威にしたいと思っているが)、「あの少年はこの世にいない」、とは言えないのだ(真実であれ、虚言であれ)。だから日本人ジャーナリスト(といっても誰も知らない人だけれど)という第三者の口を借りて発言し、イタリアという遠い国の、しかし一流紙で報道させるような流れをつくった、とも考えられる。スクープ心理を狙ったのかもしれない。少なくともイタリアのcorriere購読者の何人かはすっかり信用したことだろう。


中国は今後も、北京が決めたパンチェン・ラマにありとあらゆる発言をさせて、亡命政府と対抗していこうとするだろう。しかしそうなるためには、この青年に絶対的な権威が必要だ。いま、北京はそれを模索しているはずだ。そのために、のちのちの流れを見越したつもりで、ダライラマ法王の継承発言を批判したり、ありとあらゆる布石を置こうとしているが、「人心」、つまり「信仰」であるとか、「良心」であるとか、そういう基本的な人間の性癖が計算されていない。そして残念ながら、世界じゅうの「人心」、「良心」を騙し、抑圧することは不可能である。チベットissueは、もはやグローバルissueだ。西側の政治家たちは、その「人心」をつかむことに躍起なのである。さらに「人心」というものは、まるでゴムのようなもの、抑圧されればされるほど、強く跳ね返ろうとするものだ。歴史が語るように力で押さえるには限界がある。


わたし個人としては、できれば、この記事は他国で報道されないほうがいいと思っている。そんな信憑性のない、聞いたこともないジャーナリストの言うことは、信用するに足らない、と一斉に知らん顔することが得策だ。


とはいえ、昨日、今日と電話で話したチベットの青年たちはいたってクールな反応であった。このような挑発には生まれたときから(彼らは亡命政府が築かれて、第二、第三のジェネレーションなので)すっかり慣れていて、ちょっとやそっとのことでは慌てふためかないのである。「日本人のジャーナリストと紹介されている人物の発言が、日本の大手の新聞などで報道されていないのは、まったくおかしなことだ。他国の新聞でも今のところ報道がなく、イタリアでだけ報道されている、というのは奇妙なこと。ともかく事態がどう動くか、いまは観察すべきとき」
そういうわけで、4月25日は予定通り、パンチェン・ラマ解放のために、死刑宣告を受けたチベットの前途ある青年たちのためにできるだけたくさんの署名を集める予定。


イタリアでこんな報道がなされている間、チベット内部では、相変わらずの緊張が続いている。今日もチベットでは、抗議活動に対する処罰として、一人の青年に死刑の判決、二人に懲役刑がくだされた。http://www.phayul.com/news/article.aspx?id=24500&article=Chinese+court+issues+suspended+death+sentence+to+another+Tibetan+-+updated

こうして中国は少しずつ、あちらこちらにマメに手を打って既成事実をつくり、事実を歪めていくつもりだろうが、。それに対抗できるのは、非常にシンプルで抽象的、甘い言い方になってしまうが、人々の「良心」でしかないと思っている。

いますぐにでも解決したいと沢山の人が思っている。が、長期戦になる可能性は高い。今、この時点では時間を予想することはできない。そのためにチベットの若い世代はそのアイデンティティという核をしっかり守っていかなければならないし、この文化を世界から失いたくない、と思っている人々もまた、その若いチベットの世代をしっかり守る必要がある。人々の「良心」がある限り、チベットの「良心」もまた無くならない。