チベットの文化は薬だと思う。

「イタリアに来て驚いたのは、イタリアの人ってずいぶんデリケートなんだなっていうことだよね。ちょっとしたことですぐに傷つくし、何かといえばセラピストだの、プシキアトラ(精神科医)に飛び込んで、精神安定剤を飲んでいるし、街のなかは銀行と薬屋とクリニックで溢れているし、なんだか象徴的だと思った。傍目には幸せな生活しているように見えるけれど、不幸な人や病んだ人がいっぱいいるんだね。食べ物にも困らないし、住む家もあって問題ないはずなのにね」


チベット内部の緊張がまだこれほど高まっていなかった頃のこと、亡命第二世代のチベット青年とぶらぶら街を歩いていると、ふと彼がそんなことを言ったことがある。そうなんだよね。この問題はイタリアだけではないよ。日本だって似たようなもの。わたしが証言者だよ。わたしも一人ですごく苦しんだことがあるし、今だってパニックになることがあるよ。いわゆる先進国と言われる国はみんな似たようなもので、社会そのものがあんまり幸せではないみたい。ところで君は幸せかい? と聞くと、


「イタリアにいると、ヴィザの問題やあれこれ面倒なオフィシャルな問題があるし、いろんなことに面食らうことはあるけれど、そんなちいさい問題にはあんまり頓着しないなあ。そりゃ僕たちチベットの立派な精神の師たちのような心境にはとても及ばないけれど、僕たちも僕たちなりに幼い時から精神のトレーニングができているんじゃないかなあ、と思うよ。なんでイタリアの人ってあんなに簡単に傷つくんだろうって思うなあ。少なくとも住む家があって、毎日ご飯も食べれるし、いろいろ解決しなければならない個人的な問題もあるけれど、それらもそのうち解決するだろうし、基本的にはいまの感じは充分だね。イタリアの人々はデリケートすぎるよ」


と彼は答えた。この答えを聞いたわたしは、ダライラマ法王、その他偉大な師から受けたチベットの精神の教えは、普通に成長した青年たちの心にも深く根ざしているのだなあ、と感動もした。この強い、安定した精神というのは、わたしを含め、傷つくことばかり上手になった先進国の人々が一番学ばなければならないことだと思ったのだ。実際、どんなに大変な状況でも彼らが決してくじけることなく、弱音を吐かず、はつらつと勇気を持って行動をするのをわたしはこの目で何度も見てきた。


さて、わたしの暮らす周辺に一人の精神の病を抱えた娘がいる。その子の感情の起伏は極端で、時には大変に暴力的にふるまうこともある。常に誰かに敵意を持っているようで、数ヶ月起きに自殺の予告を出して突然消えるなど、家族を混乱に陥れるのだ。そのすべての行動の中心は『わたし』に対するアテンションがもっと欲しいという叫びでもあり、家族を巻き込みながら、いつも自分を自分で傷つける理由を探しているのだと理解できるが、何度話しあっても、本人にはまったくその自覚がない。彼女を見ていると彼女の世界には自分以外存在しないように、他人の心の痛みや、自分とは違う意見を持った人間が存在することなど、まったく勘定に入れていないようだ。


その娘のことを心配してくれたチベット人の友人が「彼女は自分以外の人のために何かを始めなければいけない。他人の利益になることを考える訓練を始めなければならない。一度法話を聞きにいくといい。精神の問題には仏教は大きな効能があるよ」と言ってくれたが、彼女のプライドという、強い『エゴ』が、他人の話にはいっさい耳を貸さない。最も苦しんでいるのは彼女自身であるのだが、その苦しみの大本には何があるのか、彼女自身が気づかなければ「幸せ」からどんどん遠ざかっていくだけだ。青春は二度と戻らないよ、と調子がいいときに言ってみるのだが、思い込んだ心を解いていくのは、最終的には自分でしかない。わたしも過去、自分で自分にしがみついて苦しんだことが何度もあるし、いまだって時として、自分自身で作ったラビリントのなかを、ぐるぐる歩き回ってしまうことがあるから、本当にそう思う。


彼女と近い距離にいるとき、わたしはふと、中国のことを思うことがある。過去に受けたトラウマのせいで、恐れとプライドと執着心が急成長とともに膨れ上がり、言動や行動が極端に不安定になって、正気を逸しているのではないかと思うからだ。そして、そんな国を見せかけだけではなく、本質的に『幸福』にさせることができるのは、チベットの人々が守り続けてきた仏教の心、「精神文化」ではないかと思う。そんな大きな可能性を内に秘めているのに、気づかないなんて、なんて勿体ないことだろう。


いまにもちりぢりに分裂しそうな大きな地域、そして13億の人々を求心し、調和を構築するには、いまやグローバルに受け入れられ、大切にされているチベットの精神を学んで、有機的に社会に取り込んでいくことだ。いま、中国に必要なのは、小技使って世界を騙す方法を日夜考えることではなく(時間の無駄だと思う)、チベットを両手を広げて受け入れること。チベット仏教老荘思想とも儒教とも対立しないはず。それはもちろん対外的にもプラスになるだけではなく、中国に住んでいる人々の心身の健康のためにもとてもプラスになることだと思う。それこそ「Precious Medicine」だ。こんな素晴らしい可能性を持つ民族を懐に抱いていることに、はやく気づいてください。


最後に全然関係ないけれど、今日友人の、ローマのナイトシーンで活躍する日本人ロッカーが送ってくれたメイルの記事をリンクしておく。
忌野清志郎さんのかっこよさを知っている年代としては、彼の死はとてもショックだった。しかし清志郎さんがチベットのサポートをしていたことは知らなかった。ビルボードbizの記事です。やっぱり本当に本当に「いかした人」だったんだなあ。

http://www.billboard.biz/bbbiz/content_display/industry/e3i06056b3e43453484b4ab767238aab073