ラクイラの本音をトスカーナで聞く

いろいろ事情があって、毎年この時期、イタリア、そしてEUの経済に大変に詳しい人物の、トスカーナで開かれる誕生日パーティに出かけている。といっても、本当に内輪の気楽なパーティで、ちょっとした経済の情報が欲しいなあ(投資情報なども含め)、と思って下心を抱いて出かけても、もちろん誰も大事なことは何ひとつ喋らずに、イタリアの50’sの歌謡曲に合わせて、歌ったり、踊ったり、朝の3時まで飲み食い、次の朝はみんなでビーチに遊びに言って、パラソルの下でうだうだ世間話をするといった、いたってのんびりとしたパーティだ。過去、そのパーティで結構重要なポストにいる政治関係者や法律関係者なども見かけたが、TVで見かけるいかめしい感じではなく、やはり歌ったり、踊ったりして、気さくな感じであった。


日本人は一人だけなので、珍しがられて、いろいろ尋ねられるのはちょっと困るが、いろんな人を観察できて面白くもある。もう何年も出かけているが、何年経っても、みんな全然歳をとらないなあ、元気だなあ、と感心する。トスカーナのビーチで夜中まで遊んで、次の日はミラノで重要な会議がある、とか裁判官の人は大事な裁判がある、とか言っていたが、疲れた様子がまったくないのはいったいどうして? と不思議である。食べ物のせいだろうか、ともずっと思っていた。


そこで今回「どうしてそんなに元気なのですか?」とたまたま傍にいた人に聞いてみると、「それはね、イタリア人はDovere(義務感)ではなくPiacere(喜び)で働くからだよ」と建築家だというその人は断言していた。そうそう、多分このスピリットが元気の素なのですね。すぐに『責任』の2文字で押しつぶされそうになり、もう何もかもやめてしまいたい、と憂鬱を抱える日本人のわたしとしては、この精神はすごく羨ましい。仕事が楽しみになったら、どんなに毎日が気楽だろうと思うのである。


ところで、今回大変有意義だったのは、ラクイラからやって来ていたホストの友人のご婦人にラクイラの実情をこと細かく聞くことができたことだった。今回のG8では、ベルルスコーニはさも鬼の首を穫ったかのごとく、自画自賛しているが、ラクイラの状況はいまだに改善されるどころか、いつまで経っても明確な解決策が示されない。ベルルスコーニの言っている解決策を住民の誰もが望んではいない。家を失いキャンプ生活をしている人は、これから一体どうなるのか分からないまま、大変に不自由な生活状況で毎日不安を抱えながら過ごしている。


何より悲しいのは、家を失い、慣れないキャンプ生活が大変なストレスになって、たくさんのお年寄りが体調を壊し、絶望のうちに亡くなった方もいるということだ。そんな状況下で、G8の開催される前から一ヶ月間、ただでさえ遅い救助活動がほとんど止まった状態になり、ひょっとしたら「惨状を各国の首脳に見せる」というイベントのために、わざと救助活動を遅らせたのではないか、と思われるような、あまりに怠慢な状況だった、G8など、ラクイラの人々にとっては迷惑以外のなにものでもなかった、とそのご婦人は憤っていた。彼女自身は、別にアドリア海側に家を所有しているため、現在はそちらで暮らしているが、ラクイラの人々が心配で、毎週足を運んで様子を見ている、と仰っていた。
「倒壊したのは、中世時代の古い建物より、最近建てられた病院や大学の新しい建物で、それらは地震とともに木っ端微塵に砂の城のように崩れ落ちた。信じられる? そんなこと。そもそも地震の警戒地区であったラクイラに、そんな建物を建てるなんて」
彼女のお宅も半壊して、もはや足が踏み入れられない状況。レスキュー隊の人々とともに、屋内の必要なものだけをとりあえず運び出したのだそうだ。
ラクイラの人々にはまったく未来が見えない」


ベルルスコーニの演出はメディア的には成功したように見えるが、実情はこの有様だ。この話を聞きながら、いよいよイタリアの首相のことが嫌いになった。

ところでパーティの次の日、みなでビーチへ出かける途中、アリストクラティックなカップルの女性が持っている帆布のビーチバックに真っ赤な筆文字で毛主席万歳(万歳だったかどうか、中国語だったので定かではないが、ともかく褒め称える意の漢字であった)と書いてあったのを見かけたので、我慢できずに近づいて「あなたはマオイストなのですか? チベットのことや、今ウイグルで何が起こっているか、知っているのですか?」と尋ねると、困惑したような顔をされた。「北京で買ったのだけれど、意味が分からなかった。自分はマオイストではない」などと言うので、「それは間違いです。漢字がオリエンタルでなんだか格好いい、なんて思って、そんな文字を書いたバッグを持ち歩くなんて、間違っています。それは、『VIVA 毛沢東』という意味です。漢字を読める人が見たら、びっくりしますよ」と伝えた。鬱陶しいと思われただろうが、わたしには、そのようなスローガンのついたバッグを、本当にマオイストならともかく、意味も分からずビーチバッグにしてふらふら持ち歩くなんてことは、絶対に許せないことなのだ。


また、ビーチの世間話では、赤面するような過去の日本の接待の話を聞いた。92年あたりの我が日本国の経済界の人々の外人接待では、国の仕事でやってきているイタリアの官僚をどっかのクラブに連れて行って、「お好きな娘を選んでください」と耳打ちしていたのだそうだ。「女性蔑視も甚だしく、すごく嫌な接待だった。すぐイタリアに帰りたかった」と真面目なイタリアの元官僚の人が言っていたが、わたしはこの話を聞いて大変に恥ずかしかった。前も書いたが、身捨つるほどの祖国はありや としみじみと思うのであった。まさか2009年のこの現在、こんな原始的な接待は行われていないだろう、と強く希望している。