中国当局がダライラマ法王の写真を飾ることをチベットの人々に強要している? 

しばらく、インターネットが自由に使えない場所に出かけるなど外出が続く間に、2009年の今年、中国のGDPがいよいよ日本を抜いて世界第二位になることが確実になるという情報http://sankei.jp.msn.com/world/china/090716/chn0907162211007-n1.htmが出たり、たまたまスイスに住んでいる、フランス人のトレーダーと会う機会があって、「単純に考えると中国は2020年あたりに、GDP世界一になる可能性がある。もちろん、あらゆる政治問題を解決して中国内が安定すれば、だけれど」という話を聞いて、世界が中国について真剣に考えなければならない時がやってきた、と思った。moneyが絶対的なpowerだとは個人的にはゆめゆめ思わないが、我々が生きている資本主義社会はmoneyが形成するヒエラルキーで成立していることは事実だ。そんな現代社会に生きながら、ビルマのこと、イランのこと、北朝鮮のこと、そして言わずもがな、中国のこと、世界で起こっている好ましくない動きにアクションをおこすこと、世界の誰かの自由と権利を守るために、微力ながら何らかの意思表示をすることは、すなわち自分を守ることでもあると、わたしは常々思う。


さて、ところでたった今、パユルを読んでいて、あれ? 読み間違いかな?と思う記事があった。「中国当局チベットの人々にダライラマ法王の写真を飾ることを強要」というタイトル。一瞬、ローマがあまり暑いので、脳の調子がおかしいのかな、と自分を客観視した。もう一度よく読む。やっぱりそうだ。間違ってはいない。
http://www.phayul.com/news/article.aspx?id=25184&article=Chinese+authorities+force+Tibetans+to+dislay+Dalai+Lama%27s+pictures


この記事が、さらに何らかの広がりを見せれば、きちんと訳して、ジャーナリスティックな分析をしてくださる方がいらっしゃることと思うので、簡単な要約と自分なりの分析を書くに留めておこうと思う。


この記事はラジオVoice of Tibetの情報だそうだが、南インドのDrepung Loseling寺のTrehor Khangsten(house)のPhurbaという僧侶が、信頼できる情報筋から得たらしい。KardzeのChogroという地方で(googleで調べるのだが出てこない)、中国当局チベットの人々に、祭壇にダライラマ法王の写真を飾るように強要(!)している。その地方の人々は驚いているが、当局のその最新の動向に疑惑を抱いている(わたしも大変にびっくりしているし、疑惑を抱く)。

当局は「過去、ダライラマ法王の写真を飾ることを許可しなかったのは、(中国)政府の命令ではなく、何人かの個人の意向(権力のある個人と解釈/またはいくつかの地方当局の意向)で、中国の分裂分子と見なされるダライラマ法王の写真を保有することを禁じた」などと言っている、とPhurbaさんは報告しているが、もちろん、チベットの人々は、そのような怪しげな当局の命令にうかうか騙されることはなく、細心の注意を払っているようだ。今まで、法王の写真を持っていただけで逮捕され、ひどい拷問を受けていたというのに、この考えられない突然の強要は、誰もが狐につままれたような気持ちになるだろう。しかも何ヶ月か前に、この地方では18の大きな袋に入れられた法王の写真が燃やされたのだそうだ。


もし、この情報が本当だとしたら、Chogro地方の当局の本意は一体なんだろうと考える。その命令通りにダライラマ法王の写真を祭壇に飾った瞬間に、法王の写真を保有していたとされる人物は逮捕されるのではないか? 人々を欺くためのいつもの最低の手段だ、と考えるのが多分最も妥当だとも思う。しかしもし、大変に楽観的で希望的な分析が許されるのだとすれば、ひょっとしたら中国当局内部で何らかの分裂が起きつつあるのではないか、とも考えられないこともない。例えば胡主席の方針に反旗を翻す、あるいは嫌がらせなど.....。もちろん、中国の情勢に明るくないわたしが、そんなことを書くのはとんでもないことで、あくまでも希望的分析だ。
わたしは一日もはやく、チベットが解放されることを心から望んでいる。またもちろん、チベットだけではなく、国家に人権を蹂躙されているすべての人々がつぎつぎに自由を取り戻してほしいと願っているから、ちいさいニュースにも大きな希望を託す傾向がある。わたしはいつも自由に、間違っていても自分の意見をずけずけ言うことを心から愛しているから、誰もがそうありたいだろうと単純に思うのだ。


ただ、何かひっかかるのは、G8でウイグルの人々の抗議行動に対処するため、あれほど面子を大切にする中国の主席、胡錦濤が各国首脳との大切な会談を放り投げて帰国したこと。この一件をイタリアの人々もBrutta figura(失態)だと言っているし、中国共産党の求心力に疑問を覚える、などというような意見も市井のレベルでもちらほら囁かれたため、連日報道されるースイスの金融機関で働くトレーダーですら楽観的になるー非常に力強い中国経済の数字が、どこか不自然にも感じることだ。実状を離れて数字が独り歩きしている印象がいつもつきまとう。

そういえば、以前にMSN産経でこんな記事も読んだ。中国政府のなかで、意見の違いが生じている印象が残る記事だった。
http://sankei.jp.msn.com/world/china/090708/chn0907081920010-n1.htm


さらに気になったのは、中国政府がダライラマ法王の写真を保有することを禁じているのではなく、数人の個人の意向による、という下り。わたしはかねてから、中国主席はチベットを、国益だけに留まらず(よその国を侵略しときながら)、個人的な感情、あるいは政治的な権威のために(チベット自治区に赴任していた際の経験に基づいた)弾圧しているのではないか、とも感じてきた。もっと詳細を知りたいと願う。