G8も終わり、ラクイラの人々は YES WE CAMP! 

今日は所用で昼間、ローマの中心街へと出かけたが、どこもかしこもG8の交通規制で普通なら20分で済む用事が2時間もかかった。主要道路はポリス、カラビニエリで溢れていて、ちょっと見た感じは戒厳令の恐ろしさでもあったが、その国家の一大事を守るイタリアのポリス、カラビニエリの青年たちは、目の前を大胆なミニスカ姿の素敵な娘さんが通りかかると、一斉にその娘さんに熱い視線を注ぐのであった。まったくローマらしい、と、その一見強面だが、本能に忠実な青年たちを横目で観察しながら、降り注ぐ真夏の太陽で、ちりちりと音をたてそうに熱くなった石畳の上を、わたしはせわしなく歩いて家へと戻った。バスの停留所の場所もG8期間はあちらこちらに変更され、タクシーに乗ると、ぐるぐる回り道になり、歩いたほうが断然早かった。


G8が終わった(胡錦濤欠席の)今日の時点では、『ベルルスコーニ、大勝利(ホストとして)』という見出しがいくつかの新聞サイトのヘッドラインに踊っており、プレスでも、首相自身も「今回のG8は今まで行われたどのG8のなかでも、とりわけすぐれた、意義深いG8であった(何が?)。ラクイラでのG8は大成功だった、参加国首脳に褒め称えられた」という、いつものごとく自画自賛的な発言をしていたが、残念ながら(別に失敗してほしいと思っていたわけではないが、イタリア首相がこんなことをのうのうと言うと、むかっとするのだ)、TVなどの報道で見る限りは、首相の言う通り、環境設定が会議を盛り上げた。今回のG8の主人公であったオバマ首相も発展的なG8であった、と述べ、帰路へついた。


そういうわけでベルルスコーニ首相は、またもや残念ながら、天才的な演出能力があると言わねばならないだろう。G8会場にはりめぐらされた、あまり趣味のよくない、安っぽい感じの山々の写真も自分で選んだそうだが(ヒマラヤの写真であれば、もっと気高く、涼しいG8になっただろうに)、この安普請が、状況と見事に適合して、今回のG8には相応しかった。しかし首相自身はこのG8が終われば、豪邸でデラックスライフを楽しむわけだから、まったく大掛かりな芝居だといえば、「芝居」である。だいたいイタリア首相はメディア王だから、どうすれば人の心を掴むかそのツボは心得ている。問題は、この大きな国際会議が終わった今後。これから、ラクイラがどうなるのかが大切だ。いまだに自宅へ帰れずにキャンプ暮らしをしている家族がたくさんいるが、その人々が今回のG8の一連の騒ぎに抗議するため、会場から見えるよう、なだらかな丘陵にその抗議のスローガン、『YES WE CAMP』と書いてデモンストレーションしていた。うまい!と思った。


オバマ大統領がカダフィ大佐と握手して話し合ったり(つい最近はじめてイタリアに来たときは、カダフィ大佐はあれほどアメリカを非難していたというのに)、ヴァチカンを訪問したり(法王から大統領にプレゼントされたのは「人間の尊厳(原題はDignitas humanae ラテン語)」という2008年に書かれた生命倫理の本だそうだ。教皇と大統領の間で交わされたのはいかに『中絶』を減らすか、という会話。教皇から『中絶』を減らしたいというリクエストがあった。ところで教皇は、オバマ大統領に会って、とてもいきいき嬉しそうだった。まあ、よかった)、ローマのカンピドリオでは大統領夫人たちがローマ料理の昼食会で集まったり、本会議以外にもメディアにさまざまな話題を提供していた。したがってここ数日のイタリアの報道はG8でもちきりで、欲しい情報があまり得られないのは不本意であったが、G8では途上国への多額の援助も決定され http://www.nikkei.co.jp/news/keizai/20090710AT3S1001Y10072009.html これは発展的で素晴らしいことだと思った。そのお金が本当に有意義に使われることを心から願う。


また、ジョージ・クルーニーラクイラに現れたが、彼はかつてローマ市長をしていた左派のヴェルトローニと仲がよく、イタリアで行われる平和会議などにも出席する機会が多く、最近はほとんどイタリアで生活しているのかな、と思うほど、あちらこちらで見かける。ゴルバチョフなどとともにダライラマ法王も出席なさった2007年のローマでの平和会議(それは市長がヴェルトローニ時代だった)にも、ダルフール関係のスピーチをするために現れた。ラクイラでは、「ここを舞台にした映画を撮りたい」と言っていた。


ちなみに欠席の胡錦濤。本国に帰る前にイタリアの800の企業家と懇談し、2,000,000,000ドルのトレードを了解している。とりあえずイタリアとの商談は済ませていた(Il sole 24 ore 7/7 本紙一面トップ)。


さて、G8の話題はどの新聞にも載っているから、これ以上は言及しないが、前のブログで書いたイタリアのチベット青年有志による胡錦濤への抗議活動がパユルに記事として載っている。写真も載っています。
http://www.phayul.com/news/article.aspx?id=25134&article=Tibetans+protest+against+Hu+in+Italy
胡錦濤は抗議を恐れて、ウフィッツェ美術館の見学をオミットしていたんだね。したがってかの有名な「ヴィーナスの誕生」は観られなかったというわけだ。残念でした。しかもフィレンツェの市長からはウイグル地区の争乱に抗議するため、会合をキャンセルもされたようですね(さすが、フィレんツエ、ルネッサンスの都!)。商談はとりあえず相互了解に至ったが、それ以外のイタリア各地訪問は結構さんざんだったというわけで、欧州の『人権活動』を甘くみたらいけないよ、ということだ。

さらに今日、アウンサンスーチーさんの審理が再開された。朝、TVでスーチーさんのニュースが流れ、解放されたのかと一瞬喜んだのだが。http://sankei.jp.msn.com/world/asia/090710/asi0907102023001-n1.htm しっかり注視。


またウイグル地区の抗議活動の発端とされた噂、「漢民族の女性がウイグル男性より暴行を受けた」という話は、http://sankei.jp.msn.com/world/china/090706/chn0907061016002-n1.htm
コリエレ紙では、http://www.corriere.it/esteri/09_luglio_10/delcorona_huang_cina_e8b180ec-6d46-11de-9715-00144f02aabc.shtml その女性本人が、そんな暴行は受けていない。夜に間違ってウイグル人がたくさんいる男性宿舎の部屋へ入ったが、ふざけて追っかけられたりはしたけれど、暴行なんかされていない」と証言している(叫んでいる)とある。これは女性が新華社に語った話だ。この噂が発端となって漢族の人々が鉄パイプでウイグルの人々を襲った。これは噂でこれほど激高するほど民族間の緊張が高まっているということ。一発触発の状態が続いていたということだ。誰もが爆発するきっかけを待っていたのだ。


さらに数日前の新聞記事では、イランもまだまだ緊張が続いている。今回のG8でオバマ大統領は、イランが核武装を諦めるよう、イランとタイトな貿易を行うブラジルの、ルーラ大統領に心から援助を求めたという記事が、il sole 24 oreの電子版に掲載されている。世界の軍縮に同意が集まるなか、軍事予算が年々拡大している中国は,今後どうするのだろう。

http://www.ilsole24ore.com/art/SoleOnLine4/dossier/Italia/2009/G8/giorno-per-giorno/g8-iran-nucleare-lula-obama.shtml?uuid=17514e8e-6c7d-11de-a42f-0ae3d5ec691e&DocRulesView=Libero


核で思い出したけれど、イタリアはいよいよ原子力発電へ踏み切る動きだ。原発がないことがイタリアに住むひとつの理由であったわたしとしては、非常に心配している。