チベットにコンフィデンス!

たまにTibet Issueを解決するのは不可能、あるいは不可能に近いと思いながら活動しているサポーターが存在しているということに驚くことがある。そんなニュアンスの会話にぶつかると、わたしは、あれ〜? じゃ、何故サポートしているの? と思う。では、あなたは自ら進んで無駄骨を折っているのですか?と尋ねたくなるのだ。


基本的にわたしは無駄が嫌いだ。短い人生、たとえば接待で無理矢理自分の時間を潰す、とか、延々とどうでもいいことをチャットする、とか、そういう意味のないことは出来る限りやりたくない、と思っている。そのような無駄が嫌いで、かなりリアリストで結果を重視するわたしが、チベット問題にこうして入れ込んでいるのは、どういう形であってもチベットは『解決する』というConfidenceがあるからに他ならない。複雑な状況が絡み合い、情報を得れば得るほど悲観的になる事情ももちろん把握済みだが、過去、歴史なんてコロッと変わってきたのだ。明日のことは誰にも分からないし、シナリオ通りにはなかなか事は進まないことぐらい、ごく最近の「リーマンショック」で世界は体験済みだ。そういえば、ドバイショックもあったしね。いまに上海ショックなんてこともあるかもしれないから、投資家の人々はそろそろ逃げる用意もしとかなくちゃいけないかもしれないよ。


しかしこの中国ブームというのは、欧米の巨大投資家たちとメディア総動員で「中国、中国」と連呼して世界の期待を求心させたっていう側面もあるんじゃないのかな、とここ数年の巨大投資家インタビューなどを読んで、わたしは常々思っている。ずいぶん前から「中国はSolidだ」「中国こそ宝の山」などとその投資家たちは語っていたが、あ、ここはまだ開拓の余地あり、という感じで世界のエコノミック・コロンブスたちは新大陸を求めているのだし、このように経済界に影響する人の言葉というのは、世界のお金の流れを変えるよね。そして政治はその「お金の動き」をのろのろ追っている、という感じがする。そして今となってみると、日本のバブルも、こうやって世界の巨大投資家に煽られて形成された「幻」だったのではないのだろうか、などとも、ふと思ったりする。JAPAN AS NO.1とか、アメリカ人の学者が書いた本に本気で乗せられ、札ビラ切って、ニューヨークの不動産を買いあさり、ゴッホをせりおとし、パリのルイヴィトンは連日日本人満員御礼の時代から20年、時代なんてあっという間に変わるけれど、わたしの印象からいえば、日本はあのころに大切な何かを失った。


ともあれ、チベットに関して、近視眼的に判断するのはおおいに間違っている、とわたしは考えている。われわれは何が起こってもおかしくない毎日を、何も起こらないだろう、と勝手に予測しながら生きているが、全てのことが起こりうる確立は、実は100%なのだ。しかもここ数年、チベットの若い世代に、頭脳明晰、人格も素晴らしい、という青年や娘さんたちがぞくぞくと成長している(彼らがイタリアに立ち寄った機会に話すと、ちょっと驚く、へえ、すごいな、とね。勉学への意欲と祖国への愛情が半端じゃないから)。それも世界中に散らばり、欧米の教育を受けた、または、インドから世界を行き来する、ばっちりインターナショナルなニュージェネレーションだ。


中国当局ダライラマ法王がいなくなればチベットは自然消滅、などと皮算用しているようだが、そんな「ありきたり」な考えは、やがて身から出た錆となり、自らを浸食する。ほんと、中国の明るい未来を望むわたしとしては、中国という国をよりSOLIDにするために、チベットのダルマ(仏法)は欠かせないと思うけれどね。チベットには深い知恵を一人の人間として「体現」する、すごい文化があるということを見逃してはいけない。そしてその文化はチベットの普通の人々に支えられ、生き変わり、死に変わって受け継がれたものだ。その深い文化が生んだ「知恵の体現」を共有すれば、中国は真にSOLIDな霊的基盤のある経済に支えられた本当に世界をリードする国、になると思う。そんなチベットを懐に抱いているってことをラッキーだと思わなきゃ。頭悪いな、ほんとに。ヒマラヤの氷河が解けて大変なことになる前に、急いで、急いで。頼むよ、チャイナ。