困惑するなあ

最近、日常生活において衝撃、というかびっくりしちまったことはといえば、一人の学生ちゃんの卒論の内容である。テーマは「日本の広告における女性像」というものだったが、「一度読んでみてくれ」とメイルをもらい、「うん、いいよ」と気軽に読みはじめ、2、3ページ読んだところで、むらむら怒りがこみ上げてきた。内容はもちろん、全体に流れるトーンがどこか日本人全体を馬鹿にしている、というより、自分ら西洋人のほうがレベル的に上だよっていう口調があまりにも露骨だったからである。
第一章は日本の広告の歴史概観、というものだったが、日本人は文化的にたいへん立ちおくれていて、広告の手法もまったく原始的だった。たとえば日本で初めて広告プロモーションを行ったのは一遍上人であろう。彼は仏陀の絵のついた紙を人々に配って仏教を布教していた、などど勘違いもはなはだしい。
一遍上人が聞いたら憤慨するよ。念仏札のことを言いたいのだろうが、それなら布教のためというより、宗教の基本的な存在意義、人々の『救済』のためだと思うよ、広告っていうコンセプトとは関係ないんじゃない? と一応平静を装ってコメントを入れ、さらに読み進む。

第二章は日本の一般的な現代女性像。彼が描くところの現代日本人女性は、西洋人の真似して洋服を着ているけれどエレガントな装いの人はほとんどいない。つまりみなセンスが悪い。洋服着てもちょこちょこ歩いて着物着て、帯締めて歩いているように見える。
地下鉄に乗ると新聞読んでいる女性は一人もいない(つまり社会的な問題には全く興味がない)。
誰もがおしとやかにして、恥ずかしげにしているけれど、温泉に入るときは、ぶよぶよにたるんだ皮膚や、皺だらけの乳房や、醜い肢体を恥ずかしげなく大胆にさらけだす。まったく不思議な人々で西洋人には理解できないメンタリティである。
そういえば日本の田舎へ行くと、多くの老婆が腰巻きだけで乳房をさらけだしているのをよく見かける(え?)が、これも平素は行儀のいい日本人の二面的な例だろう。

しかし若い女性は実に快活で西洋人にも打ちとけ、非常に西洋的に行動できる。図々しくはないし、感じもいい。日本人の少女たちは品がなくて、たまにはうるさすぎるくらい大声でしゃべる。また30歳以上の女性も品がなくてうるさい。

一般的にブランド品の虜。エレガントに装うことと、化粧だけが彼女たちの人生なのだ(エレガントな女性は一人もいないけど)。また日本は卑弥呼以来の母系社会の名残で母親が家族の消費を仕切るのだが、(ちなみに日本では儒教の影響で女性は一般的に社会的地位が低い)女性が消費を意のままにする、という現象は他のどこの国にも例を見ないだろう・・・。そうそう、フェミニストという言葉も、日本では勘違いされて使われている。80年代の広告に「東京ガスってフェミニストね」という広告コピーがあるが、これは家でせっせと家事にいそしむ女性に、東京ガスサーモスタットつきのコンロはやさしいよ。もっと家事がらくちんになるように東京ガスはお手伝いするよ、という意味で使われており、本来のフェミニズムのコンセプトとは対極。ああ、勘違いの日本人なのである・・・・。

沈黙とめまい。
イタリア人には日本人の女性がそう見えるのだろうか・・・ショック。

わたしはコメントを入れる元気も勇気もなくなった。ピエール・ロティの「お菊さん」を読んでいるような錯覚に陥る。しかし乳房をさらけだして歩いている多くの老婆っていうのは、とってもミステリアス。いったいどこからこんな情報を得たのだろう。

ちょっと学生ちゃんを呼び出して、懇談してみたほうがいいのかも。ウェブでボーダーレス、なんてはしゃいでいるけれど、グローバリゼーションは遠いかもしれない。まさかこれが日本女性のステレオタイプってわけでもないでしょうが。

記事には関係ないけれど、今日もFREE TIBET