Tibetに奇跡は起こる。

ずいぶん昔のことだけれど、さらに大昔のコピーライター時代の大先輩とメイルのやりとりをしていて、ある時ポロッと、今自分はイタリアでTibet Issueに関わっている。Dalai Lamaが大好きだし、Tibetの青年たち、僧侶たちにおおいに指南を受けている、と書くと、その先輩はいかにも自分は『酸いも甘いも噛み分けた、世の中のことがなんでも分かっている人物』と言った説教くさい文調で、「一回政治に足つっこんだったら覚悟はできているだろうな」「俺は昔、学生運動で逮捕されたことがあるが」「中国の公安は恐ろしいぞ。しかも優れているぞ」「可哀想な人たちを助けているのよ、わたしは、なんて偽善的な気分なんだろ」「自分は中国人の友達がいっぱいいて、中国のことは何でも分かっている」「中国語も学習している」「中国はつぶれることはないのだ。中国は偉大なのだ」「ダライラマ自身が軍を引き連れ、戦争はじめろ」「血を見る勇気もないもんたちが騒いでいるだけだ」「ダライラマこそ偽善者」。さらにだんだんエスカレートしてきて、「ダライこそ悪人なのだ。おまえらヒッピー(Wao!70年代。今流行なんだよ)みたいな流れ者をたぶらかしている」「おまえ、俳句でもひねってろ。そっちの方がマシだ」ときたもんだ。あれ、この人、中国国籍?

結局途中で反論するのも面倒になって、最後はシカトすることにしたが、彼がいばって、赤いポルシェ乗り回して、ひよっこのわたしに指図していたバブル時代には気がつかなかったけれど、この人、マオイストだったんだ、とはじめて認識した。憧れてたんだろうね、中国に。あの時代から思い込んだまま、真っ赤っかの石頭になってしまっている珍しい御仁だ。マオの洗脳はここまで及んでいるか、とドキリともした。

わたしがまだ広告の世界にいた80年代後半のメディア関係者は、ほとんど学生運動参加者だった。実際彼らの社会主義思想は、意識的にしろ、無意識的にしろメディアを席巻し、元マルキシストの吉本隆明氏もご指摘されているように、当時のメディア総動員で「消費による階級破壊」を実現したわけだ。「一億総中流」という、夢のような時代である。あのころの気分が彼には残っているんだろうなあ、とあとからしみじみ思った。時代は流れているんですよ。おじいさん。

それはさておき、彼ほど極端ではないにしろ、Tibet Issueに対して悲観的な態度をとる人々には、結構頻繁(ひんぱん)に会う。いわく、「チベット問題には同情するけれど、無理だよね」「中国はでかすぎるよね」「しかたないよ、それが世の中ってもんさ。長いものには巻かれろってこと」「中国4000年の歴史だぜ。チベットは風化されるのさ」・・・・。

う〜ん、みんな大人でわけしり顔だ。大人ってのは諦めるってことなんだ。諦めようよ、ね、ハリシュマ。おまえもいい加減、大人になれよ〜。

しかしわたしはこれらの人々に日本人として強く反論する。

豊かさが当たり前で、浪費するのがかっこいいとさえ思われていた時代を生きた日本にいたころのわたしには、たしかにその状況はとても自然なことに思われた。いつだって景気がよくって、円ががんがん高くなって、インポートものはどんどん安くなる。懐かしの「なんとなくクリスタル」な世界。それが世の中ってもんだ。しかし日本を離れていろんな国を歩いていると、日本という、いまや押しも押されぬ経済大国の状況、特にバブル期の状況は、実は奇跡だったってことが分かってくる。

考えてもみよう。たったの140年前まで江戸時代で本物のサムライ(!)が闊歩していた日本を(Oh ちょんまげ!)。そして第二次世界大戦で原爆落とされて打ちのめされたにも関わらず、あっという間にGDP世界第二位の経済大国にまで復興した事実を。
わたしら現代の日本人は現在そうある豊かな日本に慣れてしまっているけれど(経済危機だって、イタリアに比べるとまだまだお気楽だ)、1967年、GDPが西ドイツを抜き、なんとなくクリスタルな世界が訪れ、ディズニーランドができて、バブルがはじけても、歯をくいしばって何とか耐え抜き、マンガがワールドカルチャーになるまでの日本の過去には、先人の猛烈な努力と魔術じみた決心があったに違いないのだ。

いわば敗戦のトラウマを、経済復興への野望に転化させる強い精神力があったから。日本人全員が魔法にかかったように突き進んだからに他ならない。

これを奇跡といわずに何といおう。日本みたいな極東のちっぽけな島国の悲惨な焼け跡から、誰が表参道ヒルズを想像しただろう、と私は思うのである。

さらには予測できなかったことを、わたしらはたびたび経験してきた。
悪い例で言えば、誰があんなひどいことになった神戸大震災を予測することができたか。あるいは誰が、世界に衝撃を走らせたリーマン・ショックを、5年前に予測できたか。
もっとも身近なところで言うと、誰が3年後の為替を予測できるか。

実際のところ、株価や為替が予測不可能なように、未来はいつだって予測不可能なものである。つまり、いいことも悪いことも、すべての出来事は100%の確率で起こりうるってこと。
日本に起こった奇跡は、Tibetにだって起こるに決まっている。

だからわたしはTibetが今、どんなに大変であっても輝く未来を信じているわけだ。

Youtubeの自分たちの手でおかした、人でなしの拷問シーンをblockしてみたり、のうのうとあのビデオがFakeだった。などと言う国。しかも外務省がそんなコメントだすんだぜ、驚くよな。
彼らは自分の国の民主主義化を怖がっているように、世界の民主主義がこわいのだ。だからFree tibet キャンペーンは数が多ければ多いほどいい。人々のためになる良心の政策は、いくらプロパガンダしてもいいさ。チベットの現状をもっと多くの人に知ってもらおう! 全世界のGoogleのサーチページにFree tibetマーク入れるとか、そういう毅然とした態度を世界が示すことが必要だと思う。チベット支援はエコ産業の発展にもつながるんだし、経済界の人々にも、目先の経済より未来の経済の可能性を見据えて、チベットを支援していただきたいものである。

Piazza montecitorioでのデモ