イタリアの人々の『死』にやさしく寄り添うチベット文化 その3

人生、ちいさな問題がいろいろあっても、それが人生ってもんだ、と割り切れている間は順風満帆なのである。自分は強い人間で、助けなんて必要ないと豪語もできる。しかし、過去、本当に絶望し、ワラでもなんでも身近にあるものは何でも掴みたい、あるいはこのまま死んでしまえばどれほど楽だろうと思ったことのある人は、自分がどんなに弱く、はかなく、悲しい存在であるかを知っているはずだ。人は傷つけば傷つくほど、決して一人で生きているのではない。常に誰かに助けられて生きている、という実感を覚え、今、困難にある人々の苦しみを少しは理解もできるようになる。

日本のバブルという離人症的な時代に生きたことのあるわたしは、いまではそうおぼろげに思うようになった。そして宗教というものは、弱い魂を心理的にも肉体的にも支えるガイドとして必然的に生まれたものだと思っている。したがって、それが仏教であろうと、ゾロアスター教であろうと究極のところ、なんだっていいのだ。アカデミックな理解というパートを無視して、乱暴に言ってしまうなら、ドグマや戒律というのも本当はどうでもいい。自分の趣味嗜好、習慣と風土に合った好きなものを選べばいいだけの話。最も大切なのは、その根本にあるものだ。

また、もっと広げてしまえば、科学も芸術も思想もまた、同じ源を持つものだと考えている。おそらく現在混乱状態にある経済もまた、その源は同じだとも思う。そしてその源を「真実」と呼ぼうが、「神」と呼ぼうが、「リクパ」と呼ぼうが、「如来蔵」と呼ぼうが、それもまた自由だ。それぞれの分野の分析、研究のためのテクノロジーはもちろん発達を遂げるべきだが、表面に見える瑣末な現象だけを議論の対象にしてしまえば、収集のつかないことになる。また瑣末な現象を「思い込むこと」こそが、争いや恐怖の原因ともなる。

ダニエラさんのところに集まってその日の夕方の瞑想のコースの準備をしていた、実際に、病人の方々の臨終に付き添った経験のあるボランティアの方々のお話を伺った。まず、彼らはどのような動機で、このボランティアの始めたのか。どのような経験があるか、短い時間だったが、どなたも心に残るお話をしてくださった。

フランコさんは60歳前後の、ロマンスグレーの素敵な建築士のおじさま。このAccompagnamento enpaticoのボランティアをはじめるきっかけになったのは、若くして亡くなった息子さんの死を看取ったことだった。

「そのころのわたしは、彼が死に向かっているという事実だけで動転してしまい、一緒にアップセットしてしまっていた。彼には何もしてあげることができなかった。でも、わたしには彼が大変に崇高な経験をしつつある、ということが直感的に分かっていました。悲しく、辛い時期だったが、彼とともに歩んだ数ヶ月間が、わたしの人生を変えたのです。わたしは『死』についてもっと学ぼうと思った。そしていま『死』に直面している人々を助けていこうと決心したのです。そんなときに出会ったのがダニエラが主催する「リクパ」というリンポチェのグループ、そして「トンレン」*という無宗教の研究グループ。まず徹底的に瞑想を学びます。一日4時間。日常の生活を続けながら、4時間の瞑想を毎日行うというのは、なかなかハードでもありますよ。でも、その経験を通じて、今実際に『死』という未知の領域に立ち向かおうとしている人々をサポートしていくことが、わたしにとっても大変に貴重な時間なんです。サポートそのものが、瞑想です」*「トンレン」はダニエラさんが主催する、宗教ベースではない、科学的な経験主義に基づいた瞑想研究を続ける研究機関

「いままでの経験でも、最も心に残っているのは、わたしと同じように若い息子をAIDSで亡くした父親のサポートをしたとき。父親はわたしのサポートにもまったく理解がなく、また死に行く息子ともうまくコミュ二ケーションがとれていなかった。二人の間には強い葛藤があり、その若い息子はちいさい頃の父親の厳しい躾のせいで、自分は父親には愛されていない、また、決して許してもらえない、と苦しんでいたのです。父親といえば、息子を失いつつある、というショックで怒りに満ち、乱暴になり、わたしの存在も疎ましがり、いよいよ決定的に二人の間に亀裂が走った。『あなたがいま息子さんにできることは、単純に、君のことを愛しているよ』と言ってあげることだと、わたしが言っても『そんなこと、言わなくてもやつは理解するべきだ』と言ってきかない。いよいよ臨終が近くなったころです。わたしたち数人のボランティアが隣室で瞑想し続けていると、嗚咽が聞こえてきた。父親は息子の死を受け入れられず、声をあげて泣いていました。それが緊張が緩んだ証拠でした。いまだ、いましかない、とわたしは思ったのです。『いまが最後です。息子さんに言ってあげてください』と息子の手を握らせると、父親はおいおいと泣きながら、『ジャン二、君を愛していたよ。君のことを大切に思っていたよ』とようやくのことで、切れ切れに言った。ほとんど意識もなくなった息子はそのとき、にっこりと笑い、目を見開いて父親を見つめたんです。彼の頬に、一筋、涙がこぼれ、口をもぐもぐ動かした。わたしには、僕もだよ、と言ったように思えました。そのあと、彼の呼吸は静かになり、やがて『死』へと旅だっていったのです」

マルコさんはいかにもイタリアのお洒落な青年といった感じの、スタイリッシュなトリノ・ボーイ。彼は今、「トンレン」グループの瞑想コースを勉強ちゅう。きっかけはお母さんが亡くなったとき、サポートしてくれたボランティアの人々の瞑想の効果に「こんなことがあるのか」と驚き、自分も学びたい、と思ったからだそうだ。

「いやあ、瞑想がこんなに効果があるとは思わなかった。ちょっと母親が荒れたり、絶望したりすると、僕もボランティアの人から教わった瞑想を始めてみたんだ。すると、母親はみるみるうちに気持ち良さそうに陽気になった。親子だからかな、とも思ったけれど、僕が側で瞑想をはじめると、彼女の顔色まで変わるなんて、なんて不思議なことだ。と思ったんだよ。そこで僕もこのコースで勉強してみることにした。僕は宗教はまったく興味がない。チベット仏教のこともほとんど知らないけれど、瞑想は偉大だよ。スピリチュアルなことは、チベットのものであれ、僕たちのカトリックのものであれ同じだと思うよ」

つい二週間前にお兄さんをガンで亡くしたばかりのアンジェラさんは、お兄さんのことを思い出すたびに涙をこぼしながら話してくれた。

「彼はボランティアのひとたちのおかげで、本当にやすらかに亡くなったわ。わたしたちはスピリチュアルなことを、二人でいろいろ話しながら数ヶ月を過ごしたの。わたしも兄も、こんな大変なときに、わたしたちに「安らぎ」を与えてくれるチベットの文化は素晴らしいと話し合ったわ。これはとても大切な文化だ。たくさんの人々を助ける可能性のある文化。今、チベットが大変な時期にあることをわたしたちは、もちろん知っていて、だから早くチベットの問題が解決して、たくさんの人々にこの素晴らしい文化の可能性が伝わればいい、と思う。政治的なこと、複雑な状況を、いまのわたしには考えられないけれど、わたしと、そして兄にとってチベットの文化は宝物になった。ボランティアの方々のガイドがなければ、彼の死は絶望的なものになっていたと思うわ。わたしたちは本当に感謝しているの」

お話を伺いながら、胸にせまるものがあった。

ダニエラさんは、スタジオで、コンピュータを駆使してデータの整理をしていて、キーボードを叩く音が絶え間なく響いている。アルプスの麓の森からは、カッコウの鳴くエコーのかかった声が柔らかく聞こえてきた。
やがて夕闇がせまりはじめ、山肌の白い雪がブルーに変わっていくのだ。夜が訪れる。『死』もまたこうして、全ての人々に静かに訪れるのである。

*なお、ダニエラさんのグループ「トンレン」は実際に臨床の分野でも大きな功績をあげている。現在ではパルマの公立病院と協同で研究、実験を繰り返している。各種の賞も受賞。イタリアの臨床の場で活躍を広げつつある。現在、イモラの公立病院に医師として勤務するTibetan CommunityのThupten Tenzin氏もチベット医学の立場から、教師としてパルマ公立病院の医師たち、看護士たちのためのコースに参加し、チベットの文化を広めている。