非暴力で闘うということ。

We hated the chinese when we were kids;living in Tibetan refugee camps in thesathyamangalam jungles of Kamataka we had never seen any Chinese but we knew stories in the Mao Zedong and his red guards invading Tibet and occupying ourcountry ......

I am born into the freedom movement;I am born refugee.
Today as the younger generation Tibetans inherit the legacy of the Tibetan freedommovement after the an indepth study of the histry and understanding the Chinese colonizarion of Tibet and other countries like East Turkistan,inner Mongolia and Manchuria I feel a natural responsability toward the people's struggle.
In a word torn apart by violence especially led by some of the most phisically powerful countries like the US,UK,China.
I feel fortunate that I am a part this noble cause of Non ‐Violent freedom struggle for Tibet.
Tenzin tsundue,activist and poet who lives in India.


カマタカのSathyamangalamのジャングルにある難民キャンプで暮らしていた子供のころ、ぼくらは中国人のことを憎んでいた。僕らは中国人を一度も見たことがなかったけれど、毛沢東人民解放軍チベットに侵略した歴史は知っていた。僕たちは自由を勝ち取るための闘いのなかで生まれた世代だ。僕は難民として生まれた。


いま、若い世代としてその自由の闘いを引き継ぎ、チベット、そして東トルキスタン内モンゴル満州地区の中国による植民地化の歴史をさらに深く学び、この闘いに責任を持つことをあたりまえのように感じている。
しかしその闘いは決して暴力によるものではない。強大な武器を持った特にU.Sや、イギリスや中国が考えるような武力による闘いではないのだ。


僕は、非暴力という手段でチベットのために闘っている。そしてこの高貴な自由への闘いに参加する一人であることは、とても幸運なことだと思っている。

(この文章は、彼がローマにやってきた去年の11月に書いた文章の一部です)


これを書いたTenzin Tsundueはダラムサラに住む詩人であり活動家の青年である。

北京オリンピックに抗議をするために、彼やYouth Congressの青年たち、そして有志たちが2008年の3月10日、デリーからラサに向けて、徒歩で国境を渡ろうと行進を始めたことは記憶に新しいことと思う。http://lung-ta.cocolog-nifty.com/lungta/2008/05/0514.html 結局最後は、インド当局の手で中止を余儀なくされたが、この行進は、チベットの青年たちによる「塩の行進」だったのだ。ガンジーのサッチャグラハ(真理の把握)、アヒンサー(非暴力)の思想もまた、彼らのジェネレーションは色濃く受け継いでいる。


さて、わたしが何を言いたかったか、というと、彼やYouth Congress『青年議会』についてである。なんだか世間では、彼らが強硬派で暴力的な思想があるのでは、あるいはダライラマ法王の「中道」に異議を唱える「独立派」として危険な存在のようにも誤解されているような気がするからだ。


インドに住んで日常的に彼らと接しているわけではないし、ダライラマ法王と政治的な意見を画する上記の青年たちとも数人としか会ったことがないので、わたしの印象は説得力にかけるかもしれないのだが、彼らは心から法王のことを愛し、尊敬していて、暴力的なところの少しもない礼儀正しい青年たちであった。法王のことを話すときは、どれほど素晴らしい人物か、「世界のダライラマ法王は、そもそもチベットの法王なのだ」と自慢げに話していた。


たとえば、たまたまイタリアに来た際、話す機会があった上記の文章を書いたTenzin Tsundue。彼はローマの古い街並みを歩きながら、ギリシャ神話の話をしたり、ローマの歴史について語ったり、さすが詩人と思わせる豊かな感性にあふれる青年だった。冗談が大好きで、顔をくしゃくしゃにして大きな声でよく笑った(いろいろな記事や写真で、コワい青年だったらどうしよう、と構えていたのはわたしのほうだ)が、チベットのこと、自分たちの非暴力の闘いを話すときの彼の目には、驚くほど「揺らぎ」がなかった。作為のない、まっすぐな視線は人の心を射る。


彼は若い頃にひとりで歩いて国境を渡り、チベット内部を放浪したことがある。もちろん即刻逮捕されて、中国管理下の刑務所に収監され、殴る蹴るの暴行のあげく、数ヶ月後に解放された。その間、「自分の同胞であるチベット内部の人々の想いを本当に実感した」と彼は言った。


「いままで僕らは法王のおかげで、こうやってしっかり生きることができた。非暴力の姿勢を貫くことができたんだ。でもいつまでも法王の背中におぶさっててはいけない。これからは僕らのジェネレーションの一人一人がきちんと意見を持って、未来を築いていかなければならないと思っている」とも彼は言った。


彼、そしてYouthの青年たちは法王と政治的意見は違うが、法王が50年の間、おっしゃり続けた「非暴力の闘い」の継承者なのである。法王とガンジーという二人の偉大な師を支えに、チベットの未来を考えている世代だという印象をわたしは率直に受けた。何よりその闘いを『高貴』なことだと考えている青年たちなのである。


「中道路線」か「独立」か、政治的な意見については多くの議論もあるし、主張もあるから、わたしはここで触れるつもりはまったくない。民主的な社会には対立する意見があるのが当たり前だ。全体主義がどれほど恐ろしくて排斥的で残酷か、チベットの人々が一番よく知っているはずだ。


このようなチベットの若い世代を、世界の大人たちは助けていくべきだとわたしは思っている。彼らの「非暴力の姿勢」は、異常な犯罪が年々増加し、若い世代の無差別殺人的な犯罪が多発する先進国にも大きなヒントになるのではないかとも思う。


イラン、パキスタンパレスチナ、血と涙と火薬の匂いがたちこめるニュースばかりが世界を巡るいま、世界の大人たちは、チベットの青年たちの、この「非暴力を貫く」高貴な野心を決して潰してはいけないと思う。その彼らを、武器を手にせざるを得ないところまで追い込んだ時は、もう遅すぎるのだ。そしてその時、世界は大きな希望を失ってしまう。チベットは『非暴力』で闘う、世界でたったひとつの国であることを、わたしたちは忘れてはいけない。