おおらかな臨床心理学の先生

先日、ご縁があって、とある公立病院の臨床心理学セクターのディレクター Pagliaro教授に会った。その話はいずれまとめて書いて忘備にしたいのだけれど、まとめるとなるといろいろリサーチしなければならないことがあるので、先延ばしにしよう。でも、これは面白い、という話をいろいろ伺ったのである。もちろんチベットにも大きく関係してます。


ところで、今日はひとつ、わあ、やっぱりイタリアっておおらか!と思ったエピソード。先生の著作をひとつひとつ見せていただきながら、一冊、あれ?と思った本があった。『寿』という漢字のカリグラフィが表紙にデザインしてあるのだが、なぜかそれが逆さなのである。「先生、あの、これは・・・」と言うと、先生は、急にカラカラと笑って、「やっぱり分かる?」とおっしゃった。「ええ、逆さ? ですよね」と言うと、「そう、そうなんだよね。間違っちゃったんだよね、印刷の人が、ハ、ハ、ハ・・・。僕も漢字なんて知らないから、おお、なんていいデザインだ、と思ってさ。まあ、いいよ、どうせイタリア人には分からないんだから。本ってのは中身が良ければいいんだよ」 一瞬、唖然ともしたが、わたしはこういうイタリアのおおらかさを本当にいいなあ、と思う。


今日福島さんのブログのコメント欄を読んでいて、耕作、(あ、間違った) 交錯、(あれ?) 工作、(あ、これこれ)。そう、工作の人は適当に好きなこと言わせておけばいいと思うけれど(はずかしくないのかな、大人として。あ、そうか、そういえば、法王さまも、かの国は子供みたいだっておっしゃったものね。自らそれを実行しているってわけで、意外と素直なのかもしれないね)、なんか、いちいち重箱つつきする人がいっぱいいるんだな、と思った。わたしの翻訳に関しては、急いでいて、文章が乱れてるし、間違っているかもしれないよ、ともはじめに前置きしているし、それを福島さんがリサーチにかけて修正してくださったと思っている。これはありがたいことです。著作権云々のことは、ずいぶん前から福島さんのブログ読んでいて信頼しているから、どんな風に変形されてもわたしは何とも思わない。わたしにとって、そんなことは全然大切なことではないのです。


お目にかかったことはないけれど、どんな気持ちで今までブログを書いていらしたか、その文面からしっかり伝わってきたから、毎回ブログを楽しみにしてきた。引用していただいたからこんなこと書いているわけではなくて、本当にそう思っているから書いている。


福島さんのように自分の目で、肌で感じて、悩んで、そこから結論を導きだされた文章を書くジャーナリストはとても少ない。もちろんリサーチも、アナライズも素晴らしい!と思う。冷徹頭脳派、とか、あっちこっちの記事をオーガナイズして再構築し、「とんでも理論」あるいは「とんでも未来予測」を書く人であるとか、どうでもいいテクニックで、どうでもいいことを書いている人が多いなか、福島さんの息使いが聞こえてくる、身体張ったブログは、とても貴重だと思っている。


わたしなんかが、こんなことを偉そうに言える立場ではないが、ブログというのは、こういうことを個人が言っても許されるメディアと把握してもいいんじゃないの、という判断で、今日はこんなことを書いてみました。