アウン サン スーチーさんとビルマのこと

アウンサン スーチーさんの今の状況を思うと、憤りがこみ上げてくる。1999年に亡くなったご主人はチベット学者でもあって、彼女がいつも髪飾りにつけている花は、互いのお誕生日に贈り合った品種のお花だそうだ。ご主人が亡くなった時も、政府はアウンサン スーチーさんをご主人に会わせることはなかったと言う。現ビルマ軍事政府は、人間として、血の通わない、情もない、ただのならずものの集団としか、わたしには思えない。


一昨年、ビルマで僧侶たちを中心に軍政への不満が大規模な抗議に発展したことは記憶に新しいが、軍の暴力的な鎮圧で、みるみるうちにビルマのことがマスコミを騒がせなくなった。その後国連大使がアウンサン スーチーさんに会いに行ったが、それが一体どういう話になっているのか、いまのところ判然ともしない。そのころ、わたしたちは数人の有志のチベット人ととも(皆、自分たちのことのように、心配し、悲しんでいた)に、ビルマ大使館でのデモに出かけたが、今回の抗議活動で命を落とされた人々の名前の朗読だけで、2時間以上もかかるくらい、たくさんの犠牲者が出て、そのひとりひとりの方々の人生を重い気持ちで受け止めた。


2007年の暮れ、ダライラマ法王がミラノ、ウーディネにいらしたときに、Tibetan CommunityのThupten氏の法王へのスピーチのなかでも、彼が尊敬するアウンサン スーチーさんについて言及、チベットの早期の解決とともにビルマにも民主の夜明けが訪れて、彼女が一日も早く解放されることを願っている、という内容の話をしたが、そのときの法王は、彼の話に深く頷きながら、そのスピーチを聞いていらした。猊下、どうかご長寿をという場面では、感極まり言葉がつまり、涙を一しずく頬に滑らせ、そばで見ていたチベットの若者たちも、思わず下を向いて涙をこらえた。


マスコミはもうあまり報道しないが、ビルマの状況は何も変わっていない。一握りの権力者だけが豊かな暮らしをして、貧困に苦しむ一般の市民の生活を改善しようとすらせず、むしろ搾取している。『封建主義者』は市民から搾取を繰り返す軍政を敷く現政府なのだ。軍人たちは、自分たちが信仰する仏教の僧侶たちにも銃を向けた。「罰があたる」と思いながらも、上の命令で銃口を自分の最も尊敬する仏の修行者に向けなければならなかったという。そうしなければ、自分の地位や人生があやうくなるからだ。


世界中を勉学のため、または世界のために働くために、若き日々を海外で過ごしたアウンサン スーチーさんは何十年も不当に軟禁されたまま、体調もよくないというのに、今度はとんでもないいいがかりで拘置所に移され、判決を待たなければならない。一流の政治学、哲学、経済学を学んだ彼女にとって、民衆の支持をこんなに多く受けながら(世界の民衆も含め)、父君が確立したビルマという美しい、花咲き乱れる、緑のジャングルが広がる大地を「人が自由に、すこやかに暮らせる国」にしようと、ただ人々のためにと思う気持ちを表明し、人々の手に国を取り戻そうとする主張への見返りとして、まったく不当な、力づくの手段で自宅に封じ込められ、隔離されることは、どれほど悔しく、悲しいことだろう、と思う。


どうかどうか、世界の人びとが心から応援していることを思い、その苦しみに蝕まれず、絶望されることのないよう、心からお祈りします。お体が心配ですが、あなたはビルマの国民の希望なのです。世界もいまからきっと動くと思います。イタリアに住むわたしの知っているチベットの若者たちもみんなあなたのことを心から尊敬し、応援しています。もちろんわたしも、心から尊敬し、応援しています。どうか、頑張り続けてください。