チャイナのシンクタンク

昨日のNIKKEIの電子版で次のような記事を読んだ。


中国、海外人材招き入れ 国営企業などに2000人

【北京=尾崎実】中国政府が海外の優れた企業家や技術者の人材確保に動き出した。今後10年間で、約2000人の外国人と中国人留学生を雇用する計画。採用者は給与や社会保障などで優遇する。世界的な金融危機の影響で欧米各国が雇用に慎重な姿勢をとるなか、高度な知識や技術を持つ人材を誘致し、産業構造の高度化を加速させる。計画は中央政府の雇用対策チームが「1000人計画」と名付けて打ち出した。海外で博士号を取得し、55歳以下であることが条件。国外の有名大学で教授相当の職歴を持つ研究者や、国際的な著名企業・金融機関で管理職を務めた技術者、経営管理者を対象にした。


この記事を読みながら、ふうん、と思ったのだ。数日前にJBpressで、富士通総研 経済研究所主席研究員の柯 隆氏のシンクタンクに関する記事を読んだばかりであった。http://jbpress.ismedia.jp/articles/-/1031


(以下、抜粋)。
これまでの20年間で、日中の外交力は完全に逆転したように思われる。国際競争の中で互いに切磋琢磨していれば、力関係が変化するのは当然のことだろう。重要なのは、その外交力がどのように変化し、経済力とは別になぜ逆転したのかを解明することである。

日本はヒトのアロケーションが合理化していない。要するに、国の「頭脳」に問題が起きている。端的に言えば、中国に比べて日本の外交力が弱体化した背景には、日本のシンクタンク力の弱さがある。
(省略)
おそらくこのままいくと、日本のシンクタンクの多くは形こそ残るかもしれないが、実質的には全滅してしまうのではないか。
現に1998年の通貨危機以降、金融系シンクタンクのほとんどはダウンサイジングされている。今回のグローバル金融危機をきっかけに、商社系とメーカー系のシンクタンクも縮小されている。本来ならば、危機を乗り切るためには、専門家の知恵が不可欠であるが、肝心の「専門家」が知恵を持っていない状況が浮き彫りになっている。
(省略)
欧州連合EU)職員のマーク・レオナルドは著書『What does China think?』の中で、中国がグローバル戦略の構築力を身につけてきている背景には、シンクタンク力の強化があると指摘している。
例えば、北京にある中国社会科学院では約4000人の研究者が法律、経済、外交、対外貿易、哲学、歴史、文学など多面的な研究を行い、政府に対して政策提言を行っている。
また、国家発展改革委員会の傘下にマクロ研究院が設置され、9つの研究所と研究センターが設けられている。さらに、国務院の直属のシンクタンクとして国務院発展研究センターがあり、直接、政策立案に携わっている
米国のシンクタンクであるアーバンインスティチュートの研究によれば、政策提言のシンクタンクは非営利的かつ独立した立場が重要であると言われている。確かに、シンクタンクが知恵袋である以上、利益を上げることは第一の目的ではない。そのスポンサーはシンクタンクコストセンターであることを寛大に容認すべきである。シンクタンクはスポンサーからの影響をできるだけ受けずに、政策立案に取り組んでいくべきである。
逆に厳しく求められるのは、羅針盤としての役割と知恵の創造だ。

今、政策提言のシンクタンクが取り組むべき研究課題として、安全保障のグローバル化、経済のグローバル化と環境のグローバル化などが挙げられる。

中国の場合、上で挙げた社会科学院と国務院発展研究センターのいずれも、これらの研究に取り組んでいる。国家発展改革委員会マクロ経済研究院にあるエネルギー研究所は中国のグローバルエネルギー戦略を研究する最強の部隊である。
それに対して日本では、これらの問題についてどこのシンクタンクが権威なのか、まったく分からない状況にある。
日本では、米国のアジア外交が日本を通り越して中国に行ってしまうことに対して不満が募っているようだ。また、毎年、中国にはマンデルやクルーグマンなどノーベル経済学賞受賞者らが頻繁に足を運んでいるが、日本にはほとんど来なくなった。それは、中国に行けばいろいろな面白い議論ができるのだが、日本に来てもどのような議論ができるのかさっぱり分からないからだ。
このままでは、「日本がアジアのリーダーである」という自負が幻想になる日はそう遠くないかもしれない。それを防ぐためにも、シンクタンク力の強化を急ぐことである。


まったく、おっしゃる通りである。むしろ、「日本はアジアのリーダーである」などという幻想すら祖国は抱いていないんじゃないか、と最近の国際外交を外国から見ていて思うので(日本に関する記事がイタリアの新聞に載るのは、経済危機で日本はこんなにひどい統計が出ている!というような記事ばかり)、いまさら、改めて言われなくとも、という冷めた感想だ。


クロサワ映画が大好きだという若者(彼の愛犬はトシローという名だ)に、「なんで、今の日本人にはミフネみたいな若者がいないんだ」と問われ、答えに窮してしまった。「いや、君が知らないだけで、どこかにいるかもよ」と答えたが、わたしだって思うのだ。なんで今の日本には、新渡戸稲造みたいな人とか、白洲次郎みたいな人とか、吉田茂みたいな人とか、そういう人がいないんだろう。わたしが知らないだけで、実際は存在するのかもしれないけれど、国際舞台の政治外交で、日本の政治家が堂々とサシで渡り合っているという印象を、外国に住むわたしには持てない。それに今後いよいよ情報がボーダーレスになる(はず)の時代に、どの国がリーダーになるか、などということは、本当のところあんまり興味がない。能力のある国がやればいいと思うし、それが祖国であれば、少しはうれしいかもしれない、ぐらいのことだ。たのむよ、ニッポン!


しかし、それはともかく、だ。この記事を読んでわたしが気になるのは、中国の政府直轄のシンクタンクの素晴らしさは理解できたが、その中国社会科学院の膨大な4000人の研究員(よくまとめることができるね、この夥しい研究員の人々を)たちと国務院発展研究センターが、いったい何を目的にストラテジーを構築しているのか、ということだ。『世界制覇』なのか、『世界とのよりよい関係、調和』なのか判然としない。


最近、経済関係の仕事をしている友人から聞いたのだが、中国経済は現在、トウ小平以来の民間を巻き込む自由経済戦略から、再び国家が経済を統制する方向へ戻り始めている、という論文を共和党系のアメリカのエコノミストが書いているらしい(市販されておらず、この機関誌を入手できなかった)。またさらに、ずいぶん昔だが、親中派のイタリアのおじさんから「なぜ、ローマ帝国は滅んだのか」という研究を中国は行っているという話をも小耳に挟んだ。わたしはその話を聞きながら、これは帝国が滅びないためにはどうしたらいいか先手を打とうという、秦の始皇帝の「不老不死」の薬探しに似ているな、と奇妙な気分に陥った。


ところで環境のグローバル化をリサーチ、分析するシンクタンクを提言するなら、今現在のヒマラヤの気温上昇、それに伴う氷河の溶解による被害、際限のない鉱物資源の採掘による自然破壊、さらに樹木の伐採、青海鉄道による生態系の破壊状況をリサーチし、今すぐに、10年後、30年後、100年後のチベット、中国全土、さらには世界への影響をシミュレーションすべきではないか。もはや世界の人間は同じ方舟にのっているのだ。イタリアのローマに熱帯植物のバナナの樹木がそよそよと生育する異常を(ローマの人は陽気だから、トロピカルで素敵かも、などと笑っているけど)、誰もが肌で感じている時代だ。環境問題においても、ヒマラヤはチベットの人々だけでなく、中国の、そして世界の聖地でもある。


柯 隆氏は日本の内閣の直轄のシンクタンクグループでも働いていらして(今はどうか分からないが、2004年の時点ではそういう記事をみつけた)、過去の記事を読んでも、ある意味、バランス感覚もあるし(過去の講演で、2012年、胡錦濤政権が終わるときが、中国の分岐点というような興味深い発言もあった)日本では中国経済研究家の一人者でらっしゃるようだから、わたしなど、まったく専門分野でもない一介の放浪者がとやかく言うことはない。それに日本への氏の警告は最もでもある。しかしその『シンクタンク』の目的がよく分からないような場合は、やっぱり疑問を持つべきだと思うのだ。NIKKEIの記事にあるように、今後2000人の海外からの各分野の研究者が中国に向かうのなら、それをよくわきまえて中国で研究してほしいと思うのだった(まあ、NIKKEIは親中派みたいだから、なんかよくわからないけれど。日本の頭脳流出を促進しているのかな? イタリアの新聞では、今日のところはまだ、そんなニュース見てないし。ちょっと記事をリサーチしてみよう)


しかし、こんな最前線のシンクタンクを持つという国が「偽パンチェンラマ」を本物だと言い張ることや、チベットの人々への残忍な弾圧、ウイグルでの核実験(129万人の被害者!)、強制労働収容所や、人権家への拷問などその他もろもろの非人間的な行為を、なぜ恥じないのか、不思議で仕方がない。わたしとしては、テクニックだけ欧米の真似をするのではなく、まず、社会構造を学んだほうがいいとも思うのだ。