お願い!ベルルスコー二とツーショットには絶対にしないでね。

ここ数日、テンションを下げるつもりが、滅多には会えないであろう、いろいろな方々に巡りあう機会があり、一方、「え? そんなことがイタリアであるの? この民主主義を掲げる国で? そんな横暴が許されるわけ?」というエピソードにも遭遇し、あまりテンションが下がらないまま、あれこれ体験し、また考えることの多い、Je Pense,donc je suis(我思う、故に我あり)、コギト命題をも彷彿とする日々でもあった。


と言っても、わたしは思想的にはこの『精神肉体二元論』の対極に位置し、批判的な立場をとっているので、この場合は言葉のあや、というか、知っているフランス語をちょっと使ってみたかっただけでもある。ちなみにフランス語は、これとje suis fatigueー「わたしは疲れている」しか知らないのであります。さらにちょっと自慢すると、この『わたしは疲れている』というフレーズを、13カ国語で話すこともできるのだ。したがって、どこの国に行っても『わたしは疲れている』と断固主張できるわたしであった。


ともあれ、この数日の間に起こったこと、考えたことは、いずれ期が熟すというか、時が訪れたら書くこともあるかもしれないが、日本文化を心から愛するわたしとしては、現象が発現したのち、一旦「沈黙」にとどめ、そして最適な時期にそれを最適な形で表出するという方向を考えたい。言ってみれば「間」を大切にしたい、などとも思っている。その体験とは、フェアトレードをしない人々に、社会は蝕まれつつある、という兆しで、わたしには驚くべきことであった。しかし今書くと迷惑がかかる人もいるので、ちょっと時間を置きたい。


というわけで、頭で考えていることとは裏腹に、今日はイタリアねたを書くことにした。
さて、数週間前にヴェロニカ夫人が反乱を起こして以来、いまでもやっぱり、イタリア現首相ベルルスコー二首相の、あまりにピンクなスキャンダルは毎日イタリアの新聞、TVを賑わせているが、数日前には、渦中の「すわ! 愛人か」の18歳ノエミちゃんの、元ボーイフレンド(普通のナポリの青年)も登場して、赤裸裸に首相とノエミちゃんの関係を告白もしている(というほど赤裸裸でもないけれど、「僕らはうまく行っていたのに、ノエミがサルデーニャシルビオの別荘に呼ばれて出かけて、再びナポリに帰ってきたときは、彼女、別人になってた。などという内容)。現首相は、サルデーニャの邸宅に、たくさんの美女たちを呼んでは、飲めや歌えのハーレムナイトを過ごすのだそうだ。そのほか、彼女を撮影したカメラマンが告白したり、ノエミパパが意味不明の発言をしたり、かまびすしいことこのうえない。


さらに現首相は、誕生日パーティでノエミちゃんにはじめて会ったなどと言っていたくせに、そんなことは真っ赤な嘘じゃないか、ノエミとは以前から何らかの関係があったのなら、嘘をつくな。真実を話すべき!と中央左派のフランチェスキーニ氏も首相を告発、対してベルルスコー二はメディアの陰謀、みたいなことを語り(メディア王なのに、コントロールできないんだね)、テレビ番組でもさまざまな討論が放送されていて、夕食時、みなで笑いながら歓談するには格好の話題を提供している。


と、この時期、全英国首相ブレア氏の奥様、チェリーさんがイタリアのトーク番組に登場して、こんなことを発言している、というレプッブリカ紙の数日前の記事が面白かった、と昨夜の夕食時に話題になったのだった。

http://www.repubblica.it/2009/05/sezioni/politica/berlusconi-divorzio-2/cherie-bandana/cherie-bandana.html

2004年の夏、ベルルスコー二に招待されて夫婦揃ってサルデーニャの邸宅を訪れたときのこと(首相が気軽にヘイ、トニー、と呼びかけて、ベルルスコー二、何て馴れ馴れしい!とこのとき話題にもなったような気がする)。「トニーがわたしに懇願するの、お願いだから絶対にベルルスコー二とツーショットにしないでね。写真を撮らなきゃいけないときは、必ず君が真ん中にいてよ。絶対だよ」そのときのベルルスコー二は、年に似合わないバンダナを頭に巻き付けていて、それもそのころ、話題になった。「(バンダナ巻いたイタリア首相)とツーショットで写真を撮られでもしたら、英国のメディアに、僕は殺されちゃう」 そうブレア氏は、チェリー夫人に頼んだそうだ。これはチェリー夫人がイタリアのトーク番組 Che tempo che faで語った話だ。

「わたしたちは、ベルルスコー二に、オリンピックの開催地としてロンドンに一票入れるようにお願いするためにサルデーニャに行ったんだけれど、到着早々、首相の頭に巻いてあるバンダナにちょっと、ギョッとしちゃったわけよ。まあ、プライベートな訪問で、首相は、頭部にちょっと問題があるんでね。とか言っていたわね。あとで分かったんだけれど、彼、植毛中だったのよね」


それからわたしたちはヨット遊びをしたんだけれど、そのあと、人々の集まる場所に行かなければならなかったの。トニーは、どうかベルルスコー二がバンダナをはずしてくれるように願っていたけれど、答えはノー。大勢の人々がいる所でも彼は絶対バンダナをとらなかったし、今度はシャツの色に合わせて、色違いのバンダナをコーディネートしてしっかり頭に巻いたのよ」

そういうわけで、真ん中にいつもチェリー夫人がいるとはいえ、そのときのブレア前首相とベルルスコー二首相の写真が、世界を駆け巡ったわけだ。今ならなぜイタリア現首相が頭にバンダナ巻いていたか、理解できますね。


このように、ばかばかしいことが起こるイタリアだけれど、一方、北アフリカから来る大勢の移民の人たちを水際でせき止めて、たくさんの人々を水死させたり、拘留したりもしているイタリア首相のことを、毎日ふざけたことばっかりやっているけれど、間抜けなふりをしている「殺人鬼」じゃないか、ファシスト! という厳しい意見が多くあることも、付け加えておく。イタリア以外ではあまり語られない移民の問題だが、人の生死に関わる大切な問題である。スローフードやグッチやプラダもいいけれど、マフィア、カモッラ(ナポリマフィア)の問題とともに、これもまたイタリアの現実であることを、日本の人にも知っておいてほしい。

ところでイタリアの、ムッソリーニとは違うタイプのファッショ化への危険性を今日のファイナンシャルタイムが記事にしているようだ。
http://www.ilsole24ore.com/art/SoleOnLine4/Italia/2009/05/berlusconi-ft-financial_times.shtml?uuid=51d1469e-4ab9-11de-b219-4e35f9c290e3&DocRulesView=Libero

金満家の最高権力者は、自分の思い通りに法律も、モラルも変えてしまうことができると錯覚するのだろうけれど、イタリアはそれでも民主主義だから、国民が自由に不平も言えるし、メディアも好きなことを報道できる。しかしこれが軍国主義全体主義だと、国民が大きな犠牲を払うことになる。それをわたしは一市民としてもう一度、しっかり確認したいと思う。