追記 Timeにも オーセル青年の記事

http://www.time.com/time/world/article/0,8599,1903076,00.html

さすがにTime。バビロンマガジンから始まる、エルムンド紙、ガーディアン紙、そしてFPMTのオーセル青年のメッセージまで、すべての流れを捉えたうえで、何人かの専門家の意見を加えながら、非常に淡々とクールにまとめている。最後にロバート・サーマン博士のコメントで締めるところは心憎い配慮でもある。

さて、急いで訳すと中途半端な訳になってしまうので、最後の数行だけを訳してみます。なお、このところ、大急ぎで訳していて、日本語がこなれていません。間違いなどありましたら、ビシビシ指摘してください。(昨日、オーセル青年は僧侶としての資格はない、と語っているように訳していましたが、タイムでは、仏教徒ではない、と文字通り解釈されていたので、それに倣います)


元僧侶の仏教学者であり、ダライラマの友人でもあるロバート・サーマン博士は、数年前、Hita(オーセル青年)がインドで伝統的な仏教教育を受ける際に、彼が懸念を示していたことを語る。サーマン氏が言うのはこういうことだ。「もし、彼が伝統的なチベット教育を受けたかったのなら、亡命政府のもと、チベットの家族に生まれ変わることだってできたはずであった」しかし実際は、そうではなかったことの結果として、「Hitaは、アイデンティティ・クライシスの嵐に遭って、ドロップアウトしてしまった」。
サーマン氏は、「われわれの生きる、煩雑なポストモダンワールド」でしばらく過ごしたのち、ひょっとするとHitaは、チベットの伝統の価値を知るかもしれない「そして、彼は再び仏教に近づくか近づかないか、今度は自分自身の意志で選択することができる」と言う。そしてさらに「それは彼にとってさらに大きなパワーとなるだろう」とつけ加えた。


なお、ガーディアン紙は、「オーセル青年がインドで暮らしていたときに会ったのは、僧侶たちとリチャード・ギアだけだった」、というような一文も付け加えていたようだ。ちょっと英国風にひねりを効かせたのかもしれないが、ちょっと戸惑うね、こういう作為的な表現は。