ミラノ ダライラマ法王のお誕生日

ここ数年、ダライラマ法王のお誕生日にミラノのチベット仏教センター、Ghe pel lingで行われる法王長寿祈願に出かけている。今年は、いろいろな事が重なって直前までミラノ行きをためらったが、やはり毎年の「けじめ」として土曜日の午後、ユーロスターに飛び乗ってミラノへ出かけることにした。長寿祈願のプジャは日曜の朝、9時からチベットコミュニティの人々や、チベット仏教の信者の人々が大勢集まって行われることになっていた。


やはり出かけてよかった。今年、Ghe pel lingの法王のお誕生日の長寿祈願の集まりは、例年にない特別で、心打つものであった。というのも、22年間、Ghe Pel Lingを支えてこられたThamthog Rinpocheが、ダライラマ法王の僧院であるナムギェル寺の責任者として指名をお受けになったのだ。間もなくダラムサラに向けて旅立たれるリンポチェのための送別をも兼ねたプジャは、たくさんの弟子たちがイタリアの各地から訪れ、大変な熱気のなかで行われた。ウーディネのGheshe Lobsang Pendheもトスカーナのラマ ツォンカパのGheshe tempelもいらしての盛大なものだった。


Thamthog Rinpocheはとてもスマートで知的で近代的な方で、かつてお話する機会があった際に、「仏教はサイエンスですよ。科学的アプローチが何より大切です」とおっしゃったことが、何より心に残っている。ミラノに行く機会があまりないため、リンポチェのお話を伺う機会はあまりなかったが、チベットの人々にも、またイタリアのチベット仏教の信者の人々にも信望の厚い高僧である。またイタリアに住むチベット・コミュニティの人々をも、ことあるごとに寛容に両手を広げてサポートなさってきた。


法王の長寿祈願が終わったのち、リンポチェとともに長くイタリアで過ごしてきたチベットの方々、また信者の方々からの祝辞が送られ、信者の方々はリンポチェが大任を受けインドへ旅立たれることを喜びながらも、ミラノをしばらく離れられることの寂しさから泣いていらっしゃる方が大勢いた。もちろんチベットの方々もみな、涙、涙であった。


「22年前にイタリアにやってきたときは、まだきちんとした仏教センターもなく、本当に数人の信者の方々とともに、さまざまな困難を乗り越えながら、Ghe Pel Lingを築いてきたことをとても懐かしく思います。そして何より嬉しいのは、一番始めにわたしの弟子となった人々が今でもセンターを支えてくださっていることです。あのころはみんな若かったけれど、22年分、歳もとりましたね」


そう鷹揚な微笑みを浮かべておっしゃるリンポチェの言葉に、古い弟子の方々は泣いておられ、祝辞が涙で途切れ、皆から拍手がわき起こった。何もかもがなかなか前に進まないイタリアで、しかもチベット仏教への理解がまだまだ一般的に行き渡っていない時代にこちらへいらしたリンポチェも、リンポチェを信頼し、教えに従ってこられた弟子の方々も大変な苦労をなさったことと思う。


リンポチェはたくさんの弟子の方々の、常に心の支えでいらっしゃった。ストレスだらけ、邪気が渦巻く俗世界(言ってみれば自分の心の反映でもあるけれど)に生きるわたしたちにとって、リンポチェをはじめとする僧侶の方々の存在は、心身をほっと緩ませて、ここでしばらくリトリートして、また再び俗へ、愛し合い、憎み合い、歓喜し、憤りに溺れるあの「俗」へと戻ろう、というエネルギーになる。


だから、わたしは僧籍の世界の歴史にも、人間臭いいろいろなドラマが繰り広げられ、単純に理想化できない、ということを確認しながらも、仏教の教えを守っていらっしゃる僧侶の方々の深い知恵ーそれに従っていくということは、自分の深層にあるユングがいうところの「集合的無意識」、自己の「聖域」とコンタクトをとりうる可能性と考えているがーに真摯に耳を傾けたいと思うのだ。そして、長い長い時間、あの気高く美しいヒマラヤの山々で暮らすチベットの人々にとっても、僧院、そして僧侶の存在は雄大な自然に抱かれる、人間の、なかなか一筋縄ではいかない「心」に滋養を与える「オアシス」だったのではないか、と思う。


さて、今回ミラノへ行って驚いたのは、ずいぶんチベットの若者たちが増えていたということだ。「新しい人が多いね」と友人のチベット青年に言うと、「そうだね。増えたよね」と嬉しそうに笑っていた。また、第三世代のちいさな子供たちが、すくすく成長していることも印象に残った。7、8人の子供たちが僧院のなかで、若い僧侶の青年たちと、走り回ってサッカーをしたり、バスケットをしたりして遊んでいた。みんなはきはき元気がよく、頼もしい子供たちだった。そういえば、現在イタリアにはチベットの青年たちのサッカーチームが出来て、しかも大活躍していて、来週はスイスに遠征して試合するのだそうだ。


そういうわけで、わたしは昨夜遅くミラノから、G8の厳重警戒下のローマへと戻ってきたのである。ウイグル地区が大変な状況のなか、胡錦濤もローマにいよいよやってきたようだ(首脳陣のなかで、一番にやってきた)。ちなみに、ナポレターノ大統領は、ステートメントで「今中国は経済、社会の発展とともに『人権問題』の扉をも開こうとしている」などの発言をしているようだが、これは「解決してくださいよ」という催促なのだろうか(新聞では『人権問題』を解決すべきになっていたが)また、ウイグル地区に関する海外メディア対策を、中国はいちはやく行っているようだが、http://sankei.jp.msn.com/world/china/090707/chn0907070036000-n1.htm G8で非難される前に、牽制している?