ローマは、そしてウイグルにも熱い。

ダライラマ法王がローマにいらして、第五回世界議員チベット会議が開かれたかと思ったら、突然メイルが来て、Partito Radicaleの本部にラビヤ・カーディルさんを迎えてミーティングがある、ということ。ラビヤさんといえば、あのウイグルの母ではないか。今年6月のウイグルで起きた蜂起運動の際、あれこれネット上で記事をみつけ、なんと素晴らしい女性だと感嘆していた(参照、たとえば http://sankei.jp.msn.com/world/china/090801/chn0908011801002-n1.htm)。ラディカーリ(革新党と訳すと、なんかどうもピンとこないので、普段発音しているままで記すことにする)はすごい!と驚愕する。チベット会議がイタリア政府、下院議会内で開催されたのも、ラディカーリの尽力によるものだ。あれからまだ一週間も経っていない。


ラディカーリはそもそも非暴力で人権問題を解決しようと強い意志を持って、政治に取り組んでいる希有な政党。間もなく80歳を迎えるというのに、今でも夜行電車で移動なさるというパワフルな党創設者、マルコ・パンネーラ(ヨーロッパ議会議員)氏は、ガンディアーノ(ガンディーを心より尊敬し、その生き方に従う人)で、今でもたびたび抗議のハンガーストライキを決行なさる。カリスマ的で、非暴力で人権問題を解決しようと志すイタリアの老若男女に愛されている人物だ。http://en.wikipedia.org/wiki/Marco_Pannella
また、ちなみに現在の下院議会の副議長はラディカーリのボニーノ氏(大変に有能な女性議員)でもある。


イタリア、というとベルルスコーニ首相ばかりが世界に面白おかしく紹介され、国じゅうが全員ベルルスコーニの支持者であるかのように、まったくいい加減でお気楽な国民性、と世界の人々に思われているようだし、へえ、イタリアって本当にとんでもない国だな、と思うような内閣の人選もあるが(今週のTIMEの記事『イタリア首相はどのようにイタリアの文化を変えたか』に、トップレスモデルから大臣!<equal oppotunity省の>に首相から任命されたMara Carfagnaへの言及があった。綴りのままでネットでググるとかつてのプレイメイトみたいな写真も出てきます)、そんな奇想天外な政治ばかりがイタリアの政治ではないのだ。弱い立場にいる人々を心から応援しようとする政治家も大勢いる。


そういえば、かつてチッチョリーナというポルノ女優から政治家に転身した人物がいて(日本でも有名になりましたが)、彼女もラディカーリの出身だが、彼女は誰かに任命されたわけではなく、大胆な人柄と政策が人々を魅了し、民主的に議員に選出されたという経緯があり、現在でもイタリアの人々からはおおむね高い評価を得ている。わたし自身は、もし参政権を持っていたならば、断然ラディカーリに一票入れたいと思っており、イタリア在留外国人にも選挙権が与えられるといいが、と常々考えているのだ。


早速ラディカーリに出かけると、チベット人の友達やチベットサポーターの人々もやってきていて、チベット会議は素晴らしかったが、なぜイタリアのメディアが会議の内容を大々的に報道しなかったか、まったく理解に苦しむ、そうだ、そうだ、スカイ24ニュースだけ(首相と世界を股にかけて勢力争いをするマードック氏所有の衛星放送SKYのニュース)だったよね、新聞はどうだった? などとイタリアメディアの批判をしていると(イタリアのTVの90%は首相のコントロール下にあるといわれる。こんなイタリアにいったい表現の自由はあるのだろうかと、最近首相への抗議の報道が相次いだが・・・)、パンネッラ氏がラビアさんの手をとってサロンに入ってきて、途端会場は満場の拍手に包まれた。長身白髪でかくしゃくとしたパンネッラ氏にいざなわれる、長い銀色の髪を三つ編みにきれいに編み、美しい灰色の瞳を持ったラビヤさんは、凛とした気品のある東トルキスタンの婦人で、わたしは彼女が会場に入ってきた途端、シルクロードに吹く風と微かな鈴の音を聴いたような、幻想的な気持ちになった。


パンネッラ氏に紹介されたあと、ラビアさんはイタリアではあまり知られていないウイグルの状況を簡単に紹介し、ウイグルチベットと同じように純粋な自治を中国に望んでいることを、集まった人々に訴え、ご自身も6年間、刑務所に収監されたこと、ご自身だけでなく、ご主人、ラビアさんのご子息も中国当局に逮捕され、囚われの身となったこと、また現在もご子息が囚われの身であることを話された。今回の来伊は、ご自身の自伝がイタリア語に翻訳され、その本の紹介にいらしたこともあり、あまり多くをお話にならなかったが、短い時間のミーティングではあっても、有力紙に執筆する著名ジャーナリスト、フリオ・コロンボ氏も出席しての、意義のある、また現状を再認識するためにも、きわめて有益なミーティングであった。現在、非暴力の抗議行動で中国当局に逮捕されているウイグルの人々は18000人。その多くは北京オリンピックと今年6月の漢人との衝突の際、抗議運動に参加した人々だということだ。また漢人との衝突の際、何人もの人々が命を落とした。


会に出席したフリオ・コロンボ氏は、ラビヤさんが今こうして世界を駆け巡り、人々にウイグルの状況を訴えていること、その業績は、われわれ人類の歴史から決して消えることのない尊いことである、と話し、また、彼女のアクションがわれわれ人類の未来のための『希望の種』であると表現した。また、われわれがやらなければいけないのはその『希望の種』を風にのせて世界じゅうに広げていくことだ、それがわれわれの仕事だ、と話し、会場が湧いた。


ミーティングのあと、紹介された本を購入し(彼女の波瀾万丈な自伝を読むのは今から楽しみだ)、サインをしていただこうとラビヤさんに近づくと、東洋人のわたしをちらりと観て、満面に微笑みを浮かべて何か中国語で話しかけられた。中国語がまったく分からないわたしが「申し訳ありません。中国語が分かりません。わたしは日本人です」と言うと、今度は途端に大きく手を広げてわたしを抱擁され、驚いた。そしてラディカーリの人々に振り向き、「日本は素晴らしいのです。たくさんの方々がわたしたちを助けてくれるのです」とおっしゃった。わたしはその言葉に、久々に祖国をとても誇らしく思い、ラビヤさんの柔らかい手のやさしい温もりに感激し、涙ぐんだ。大変な人生をお送りになったことと思うが、そのちいさな身体からは「愛情」が溢れ、深い人間性がオーラとして漂っている、という印象が大きく残った。改めて、ウイグルの人々のこと、もちろんチベットの人々のことを、わたしは深く考えた。


ところで、チベット会議にも、ラビヤさんとのミーティングにも、毎回おなじみの自称中国のジャーナリストが部下を引き連れ現れる。また現れるだけではなく、ダライラマ法王のプレスコンフェレンスのときにはちょっとした緊張を伴ったシーンをも、彼は演出したようだが、わたしたちサポーターたちは最近、この自称ジャーナリストという人物について「愛情」に近いものを感じている。心を割って話し合ったら、意外に分かり合えるかもしれないとも思うのだ。どこにでも現れて、率直に意見を述べる(それが偏った考えであったとしても)姿勢には、彼なりの真摯さをかいま見ることができる。そしていつか誤解が解け、彼らもともに同じ未来を見つめることができれば、どんなにか素敵なことだろう、と思うのだ。

デジカメが壊れたので、最近写真が撮れない。日本に帰って新しいのを買うまでは、こうしてどなたかの写真をお借りします。これはマリリアさん撮影のものを拝借しました。