これもちょっとおかしくない? ラマ・ヤシェの生まれ変わりのスペインの青年、故郷に帰るという記事

またコリエレ紙であるが、こんな記事が。

http://www.corriere.it/cronache/09_maggio_31/buddha_cina_6c62992a-4de5-11de-891f-00144f02aabc.shtml

24歳のオーセル、エル・ムンド紙に語る。


Piccolo Buddha, diventa grande,
lascia la tonaca e torna in Spagna
Riconosciuto come reincarnazione del Lama Yeshe, dopo 12 anni di vita monacale in Cina ha mollato tutto

(タイトル)
大人になったピッコロ・ブッダ、スペインに帰る。
彼はラマ・ヤシェの生まれ変わりと認められていたが、中国での12年間の僧侶生活のあとで、僧職を放棄。

ローマー彼は厳しい僧侶の戒律に耐えることができなかった。成長した今、彼はチベット仏教の僧侶であることを放棄し、彼の生まれた国、スペインに戻ることを決意したのだ。今、彼はスペインで映画の勉強をしていて、宗教をまったく無視した生活を送っていることを明らかにしている。
Oselは、スペインで生まれた1986年、生後14ヶ月の赤ちゃんのころ、ラマ・ゾッパ リンポチェに ラマ・ヤシェの生まれ変わりとして正式に認められた(エルムンド紙ではダライラマ法王も認定したことが明記されている)。12年間、僧院で過ごしたあと、彼はマドリッドへ向かった。エル・ムンド紙は、彼の幼少時代は「苦悩に満ちていた」と表現する。


彼は青年になったある日、赤い僧服と黄色いショールを脱ぎ、その後の彼の足取りが掴めないように、自分自身の世界へと戻る決心をしたのだ。「生まれ変わりと認識された生後14ヶ月でインドへ連れて行かれ、黄色いチュニックを着せられ、玉座に座らされた。人々は僕を尊敬もした。僕から家族を引き離し、まるで中世に引き戻されたような生活をさせられ、僕はその生活にとても苦悩したんだ。嘘のなかで生きているみたいだった
24歳のOsel Hide Torresは、自分の生活を取り戻す決心をしたのだ。

http://www.elmundo.es/elmundo/2009/05/30/espana/1243716606.html
上、エル・モンドの原文

http://translate.google.co.jp/translate?hl=en&sl=es&u=http://www.elmundo.es/elmundo/2009/05/30/espana/1243716606.html&ei=5u8iSorAM8OwsAbNp8nQBg&sa=X&oi=translate&resnum=1&ct=result&prev=/search%3Fq%3Del%2Bmondo%2Bosel%26hl%3Den%26lr%3D%26client%3Dfirefox-a%26rls%3Dorg.mozilla:ja-JP-mac:official%26hs%3DLAD%26sa%3DG%26num%3D20
上、記事を英訳に自動翻訳したもの


これはたいへんに微妙な記事である。残念ながら、スペイン語が分からないので、原文がどのような内容なのかわたしには調べようがないのだが(自動翻訳なので英語は正確ではないのではないかとも思う。したがって雰囲気だけ)、この青年のことはイタリアでも大変有名で、また、ラマ・ヤシェ、ラマ・ゾッパ リンポチェも非常に愛されているチベットの高僧だ(youtubeでもたくさんの映像、法話がある)。ともにトスカーナのポマイアにあるラマ・ツオンカパ僧院の草案からの設立者でもある。また、このOsel青年に関する本も出版されている(確か、日本でも翻訳されているはず)。映画「リトル・ブッダ」のインスピレーションになったのも、このエピソードからではなかったか。


今のところ、わたしはコリエレ紙がどのような意図で、この記事を掲載したのか理解に苦しむが、ネガティブに考えれば、ひきつづき、チベットをイメージダウンするためのちいさい記事とも考えられる。チベットが時代錯誤の文化を継承している。それは西洋人の現代っ子には適さなかった、ということだろう(まあ、こちらには山のように僧侶になったイタリア人がいて、幸福そうに暮らしているけれど)。コリエレ自体、あやふやなスタンスだ。歯切れが悪い。


重要な点は彼が12年間、中国の僧院で修行していたというタイトルの記述で、この感じだと、いったい中国の何処の僧院で、どのように教育されていたのかが、まったく分からない。(でも、自動翻訳を読むと中国という記述が出てこないんだよね。本文中に。それに彼はインドのセラ寺で修行していたのではなかったっけ? いつ中国に行ったのか、わたしは知らない。さらに翻訳で読むと、別段普通に還俗した感じで、、一青年が普通に僧侶が嫌になって、還俗して普通の生活をしているといった風にも読める。

!ほら、ここでは南インドのセラ寺で修行しているとなっている。すでに還俗の意向はあるようにも読める内容だが・・・・。
http://www.tushita.info/spiritualguides.htm


ただ、言えることは先のパンチェンラマの記事にしても、今夜(5月31日)のこの記事にしてもコリエレ紙は決してチベット文化に好意的なアプローチはしたくないようだ、ということだ。つまり、中国側に立っているようにも思える(正確な記事ならば、どっち側でもいいのですが)。このように短い記事で、様子を観ているのか、次々にこの程度の記事を積み重ねていくつもりなのか、それとも反応見なのか、ただスキャンダル狙いなのかいつも嫌な感じがつきまとう。スキャンダル続きのイタリアに、穴を狙ったように、ポーンとこういうチベットの記事が、ヘッドラインに並び、どさくさにまぎれて掲載されるのは不思議だ。コリエレ紙は、ここ数日の報道でも、スキャンダル狙いが多いからね。ちなみに今のところレプッブリカ紙では掲載はなし。困っちゃうね、コリエレには。ソースがいい加減で。


イタリアにも僧侶から還俗したたくさんのチベットの人々がいるし、還俗自体は何の問題のないことで、個人の自由でもある。いまやチベットの僧が還俗することは、そう珍しくもないから、彼が高僧の生まれ変わりであったこと、またスペイン人であったこと、で注目を受けやすいのだろうが。中国で彼がどんな生活を送ったのかを明記せず(もしそんな事実が本当にあるとすればだ)、「僕にとって苦悩の幼少時代だった」との発言を繰り返し強調しているのは、フェアではない。

内容が明確に分かるまでは、この記事に関してはノーコメントにしておく。後日、何かリサーチすることが出来れば、追記します。しばし様子見。どなたかスペイン語の分かる方がいれば、教えてください。
ともかく、明日、電子版ではない本紙を読んでみるが(なお、本日の本紙では見つけることができなかったので、ネットだけの配信だと思う)


ところで、さっき月間のアクセス数を集計したら、中国からのアクセスが、堂々3位に入っていた(と言ってもそんなにたくさんじゃないけれど)。ふうん、という感じでもあった。そしてこんな最果てのブログに立ち寄っていただけるのは嬉しくもある。しかし中国の方々、日本語読めるんだね。ではお願い。もしどなたか、何か情報をお持ちでしたら教えていただけませんか?
ネットを通じて仲良くできればなあ、と思っています。

活仏に認められたころのOsel


大人になったOsel