夏と修羅

数日前、久々に怒髪天を抜く、というやるかたない怒りに捕われ、大声で抗議した挙げ句に、声を失ってしまった。決死で抗議をした内容に関して、わたしは決して間違っていないと確信しているが、このような極端な怒りというのは、心身ともにいちじるしくエネルギーを消耗し、自分自身を傷つける。しかも折角今まで、なんとかうまく調和してきた人間関係を破壊してしまうから、他の人にとってもマイナスなエネルギー以外、なにひとつもたらさない。そんなことは百も承知だったが、どんな歌を歌っても、ヒイヒイという音が喉から漏れるだけというほど、声が嗄れる大声を挙げての抗議をしてしまい、ここ数日ぐったりと悲しみに沈んでいた。修羅の果てない悲しみ。生きることは大変だ。


もとい。とはいえ、わたしは自分の怒りは正当であると心底思っている。他人の弱点(わたしの場合、母国語でない言語を喋っているというハンディキャップあり)につけこんで巧みに話をすり替えて、どう考えても筋の通っていない理論をふりかざし、(わたしはその理論に筋が通っているかどうか、日本人、イタリア人、フランス人の三か国の人々に尋ねてもみたが、みな口をそろえて、それはあなたが正しいというので、民主的にもわたしは正しいと確信する)自分の都合のいいように、利益を独り占めしようとする狡猾さは、わたしは嫌いだ。わたしから利益(有形無形に関わらず)を盗むだけならまだしも、わたしが関わっている大切な人々にも迷惑をかけようとしたことで、わたしはとても悲しく腹立たしかった。イタリアで生活するのってなんだか楽しそうで素敵、なんて思われることも多いが、どうしてどうして。外国で生きるってことは、結構難しいことなのだ。陽気でおしゃべり好きで、ふざけてばっかりいるイタリア人のなかにも、手に負えない、ずるくて、歪んだ性格の人間はいる。世界中、メンタリティの違いや表現の違いはあっても、基本的な心理と感情生活には、そうそう大きな違いはないというのが、いままでイタリアにいて学んだことだ。


だが、怒りからはやはり何も生まれない。したがってわたしは反省する。今日はまず、怒りの対象になっている人物から距離を置いて心を鎮め、そして今後の傾向と対策を、良心的に考えることにしようと、ガラガラ声で『言挙げ』をして決心した。このように、なるべく落ち着いて、良心的に未来を構築しようとする態度を教えてくれたのは、わたしのチベットの友人たちである。ありがとう、チベットの人々。あなたたちが傍にいなければ、わたしはいまごろ憤怒の海で溺れ、修羅の道をまっしぐらに歩いていたところだ。


そういうわけで、ここ数日は、頭痛がするほどの暑さに加え、心理的な重圧感で、ずるずると地を這うように歩く毎日であったが、言挙げしてから多少すっきりして、歩調も幾分軽やかになった。そしてさきほど近所のバングラのお店でマンゴを買って、さらに気分がよくなった。それを冷蔵庫でキンキンに冷やして食後にいただけば、ほぼ元通りに元気になることと思われる。


ところでひとつ前に書いたパユルの記事のことだが、ポン、と脈絡なく吹き出してきただけで、その後、何の動きもないようだけれど、一体どういうことだろう、と不思議に思う。まあ、ともかく、このような記事があったということは忘れずにのちのちの動きを観察していこう。


今日は中国とアメリカがG2協議をしていて、明日、『経済と環境問題』に関する共同声明を出すようだが、オバマ大統領の動きを見ていると、ボーダーレスの時代の政治というものは、まさにこういうものだ、と感心もする。オバマ大統領はダライラマ法王との会見をもアプローチしているようだし、このような「対立のない世界を実現しよう」、「もはや世界は運命共同体なんだよ」、という姿勢を中国にもぜひ学んでほしい、と思うのだ。そしてそんな世界にあって、チベット文化は明日の中国をしっかりと支える有益な精神文化なのだから、大急ぎでチベット問題を解決し、さらにウイグル問題、内モンゴル問題を解決すべきである。そうすれば、シンボリックな意味で中国の株が上がるだけではなく、本当に確固とした国家基盤ができあがるだろう。不満が渦巻く社会を武力で押さえ込むには限界があるし、解決できないまま、その問題を無理矢理内に秘めているとやがて発酵して爆発する。


などと考えつつ、ネットで新聞読んでいると意地悪なコリエレにこんな記事。

ASOはマンガでキャンペーン
というタイトル。ご丁寧に日本語のままでアニメまでアップされている。

http://www.corriere.it/esteri/09_luglio_24/aso_manga_video_youtube_f8e8bf74-783c-11de-96fb-00144f02aabc.shtml

マンガに狂信的な(ファナティコという単語は、ネガティブに使われることが多い。53歳のアニメ大好きの自民党総裁は、みたいな出だしだった)麻生さんは、マンガで政治キャンペーンを展開している。マンガでプロパガンダという記事でした。すでに200,000件のアクセス!
わたしはマンガはポストモダン文学だとも言える面白いものもあると思うし、すごいなあ、とも思う作品もあるけれど、正直なところ、このアニメは古くさくて、ださくていかんなあ、と思った。どうせつくるなら、本格的なアニメでもうちょっとかっこよくつくればいいのに。電通がつくったのかな。

ちなみに、根拠のない自信に人生を預けられますか? というスローガンは、イタリア語だと、こんな風になります。
Metteresti la tua vita nelle mani di chi fa promesse senza fondamento?

中国当局がダライラマ法王の写真を飾ることをチベットの人々に強要している? 

しばらく、インターネットが自由に使えない場所に出かけるなど外出が続く間に、2009年の今年、中国のGDPがいよいよ日本を抜いて世界第二位になることが確実になるという情報http://sankei.jp.msn.com/world/china/090716/chn0907162211007-n1.htmが出たり、たまたまスイスに住んでいる、フランス人のトレーダーと会う機会があって、「単純に考えると中国は2020年あたりに、GDP世界一になる可能性がある。もちろん、あらゆる政治問題を解決して中国内が安定すれば、だけれど」という話を聞いて、世界が中国について真剣に考えなければならない時がやってきた、と思った。moneyが絶対的なpowerだとは個人的にはゆめゆめ思わないが、我々が生きている資本主義社会はmoneyが形成するヒエラルキーで成立していることは事実だ。そんな現代社会に生きながら、ビルマのこと、イランのこと、北朝鮮のこと、そして言わずもがな、中国のこと、世界で起こっている好ましくない動きにアクションをおこすこと、世界の誰かの自由と権利を守るために、微力ながら何らかの意思表示をすることは、すなわち自分を守ることでもあると、わたしは常々思う。


さて、ところでたった今、パユルを読んでいて、あれ? 読み間違いかな?と思う記事があった。「中国当局チベットの人々にダライラマ法王の写真を飾ることを強要」というタイトル。一瞬、ローマがあまり暑いので、脳の調子がおかしいのかな、と自分を客観視した。もう一度よく読む。やっぱりそうだ。間違ってはいない。
http://www.phayul.com/news/article.aspx?id=25184&article=Chinese+authorities+force+Tibetans+to+dislay+Dalai+Lama%27s+pictures


この記事が、さらに何らかの広がりを見せれば、きちんと訳して、ジャーナリスティックな分析をしてくださる方がいらっしゃることと思うので、簡単な要約と自分なりの分析を書くに留めておこうと思う。


この記事はラジオVoice of Tibetの情報だそうだが、南インドのDrepung Loseling寺のTrehor Khangsten(house)のPhurbaという僧侶が、信頼できる情報筋から得たらしい。KardzeのChogroという地方で(googleで調べるのだが出てこない)、中国当局チベットの人々に、祭壇にダライラマ法王の写真を飾るように強要(!)している。その地方の人々は驚いているが、当局のその最新の動向に疑惑を抱いている(わたしも大変にびっくりしているし、疑惑を抱く)。

当局は「過去、ダライラマ法王の写真を飾ることを許可しなかったのは、(中国)政府の命令ではなく、何人かの個人の意向(権力のある個人と解釈/またはいくつかの地方当局の意向)で、中国の分裂分子と見なされるダライラマ法王の写真を保有することを禁じた」などと言っている、とPhurbaさんは報告しているが、もちろん、チベットの人々は、そのような怪しげな当局の命令にうかうか騙されることはなく、細心の注意を払っているようだ。今まで、法王の写真を持っていただけで逮捕され、ひどい拷問を受けていたというのに、この考えられない突然の強要は、誰もが狐につままれたような気持ちになるだろう。しかも何ヶ月か前に、この地方では18の大きな袋に入れられた法王の写真が燃やされたのだそうだ。


もし、この情報が本当だとしたら、Chogro地方の当局の本意は一体なんだろうと考える。その命令通りにダライラマ法王の写真を祭壇に飾った瞬間に、法王の写真を保有していたとされる人物は逮捕されるのではないか? 人々を欺くためのいつもの最低の手段だ、と考えるのが多分最も妥当だとも思う。しかしもし、大変に楽観的で希望的な分析が許されるのだとすれば、ひょっとしたら中国当局内部で何らかの分裂が起きつつあるのではないか、とも考えられないこともない。例えば胡主席の方針に反旗を翻す、あるいは嫌がらせなど.....。もちろん、中国の情勢に明るくないわたしが、そんなことを書くのはとんでもないことで、あくまでも希望的分析だ。
わたしは一日もはやく、チベットが解放されることを心から望んでいる。またもちろん、チベットだけではなく、国家に人権を蹂躙されているすべての人々がつぎつぎに自由を取り戻してほしいと願っているから、ちいさいニュースにも大きな希望を託す傾向がある。わたしはいつも自由に、間違っていても自分の意見をずけずけ言うことを心から愛しているから、誰もがそうありたいだろうと単純に思うのだ。


ただ、何かひっかかるのは、G8でウイグルの人々の抗議行動に対処するため、あれほど面子を大切にする中国の主席、胡錦濤が各国首脳との大切な会談を放り投げて帰国したこと。この一件をイタリアの人々もBrutta figura(失態)だと言っているし、中国共産党の求心力に疑問を覚える、などというような意見も市井のレベルでもちらほら囁かれたため、連日報道されるースイスの金融機関で働くトレーダーですら楽観的になるー非常に力強い中国経済の数字が、どこか不自然にも感じることだ。実状を離れて数字が独り歩きしている印象がいつもつきまとう。

そういえば、以前にMSN産経でこんな記事も読んだ。中国政府のなかで、意見の違いが生じている印象が残る記事だった。
http://sankei.jp.msn.com/world/china/090708/chn0907081920010-n1.htm


さらに気になったのは、中国政府がダライラマ法王の写真を保有することを禁じているのではなく、数人の個人の意向による、という下り。わたしはかねてから、中国主席はチベットを、国益だけに留まらず(よその国を侵略しときながら)、個人的な感情、あるいは政治的な権威のために(チベット自治区に赴任していた際の経験に基づいた)弾圧しているのではないか、とも感じてきた。もっと詳細を知りたいと願う。

ラクイラの本音をトスカーナで聞く

いろいろ事情があって、毎年この時期、イタリア、そしてEUの経済に大変に詳しい人物の、トスカーナで開かれる誕生日パーティに出かけている。といっても、本当に内輪の気楽なパーティで、ちょっとした経済の情報が欲しいなあ(投資情報なども含め)、と思って下心を抱いて出かけても、もちろん誰も大事なことは何ひとつ喋らずに、イタリアの50’sの歌謡曲に合わせて、歌ったり、踊ったり、朝の3時まで飲み食い、次の朝はみんなでビーチに遊びに言って、パラソルの下でうだうだ世間話をするといった、いたってのんびりとしたパーティだ。過去、そのパーティで結構重要なポストにいる政治関係者や法律関係者なども見かけたが、TVで見かけるいかめしい感じではなく、やはり歌ったり、踊ったりして、気さくな感じであった。


日本人は一人だけなので、珍しがられて、いろいろ尋ねられるのはちょっと困るが、いろんな人を観察できて面白くもある。もう何年も出かけているが、何年経っても、みんな全然歳をとらないなあ、元気だなあ、と感心する。トスカーナのビーチで夜中まで遊んで、次の日はミラノで重要な会議がある、とか裁判官の人は大事な裁判がある、とか言っていたが、疲れた様子がまったくないのはいったいどうして? と不思議である。食べ物のせいだろうか、ともずっと思っていた。


そこで今回「どうしてそんなに元気なのですか?」とたまたま傍にいた人に聞いてみると、「それはね、イタリア人はDovere(義務感)ではなくPiacere(喜び)で働くからだよ」と建築家だというその人は断言していた。そうそう、多分このスピリットが元気の素なのですね。すぐに『責任』の2文字で押しつぶされそうになり、もう何もかもやめてしまいたい、と憂鬱を抱える日本人のわたしとしては、この精神はすごく羨ましい。仕事が楽しみになったら、どんなに毎日が気楽だろうと思うのである。


ところで、今回大変有意義だったのは、ラクイラからやって来ていたホストの友人のご婦人にラクイラの実情をこと細かく聞くことができたことだった。今回のG8では、ベルルスコーニはさも鬼の首を穫ったかのごとく、自画自賛しているが、ラクイラの状況はいまだに改善されるどころか、いつまで経っても明確な解決策が示されない。ベルルスコーニの言っている解決策を住民の誰もが望んではいない。家を失いキャンプ生活をしている人は、これから一体どうなるのか分からないまま、大変に不自由な生活状況で毎日不安を抱えながら過ごしている。


何より悲しいのは、家を失い、慣れないキャンプ生活が大変なストレスになって、たくさんのお年寄りが体調を壊し、絶望のうちに亡くなった方もいるということだ。そんな状況下で、G8の開催される前から一ヶ月間、ただでさえ遅い救助活動がほとんど止まった状態になり、ひょっとしたら「惨状を各国の首脳に見せる」というイベントのために、わざと救助活動を遅らせたのではないか、と思われるような、あまりに怠慢な状況だった、G8など、ラクイラの人々にとっては迷惑以外のなにものでもなかった、とそのご婦人は憤っていた。彼女自身は、別にアドリア海側に家を所有しているため、現在はそちらで暮らしているが、ラクイラの人々が心配で、毎週足を運んで様子を見ている、と仰っていた。
「倒壊したのは、中世時代の古い建物より、最近建てられた病院や大学の新しい建物で、それらは地震とともに木っ端微塵に砂の城のように崩れ落ちた。信じられる? そんなこと。そもそも地震の警戒地区であったラクイラに、そんな建物を建てるなんて」
彼女のお宅も半壊して、もはや足が踏み入れられない状況。レスキュー隊の人々とともに、屋内の必要なものだけをとりあえず運び出したのだそうだ。
ラクイラの人々にはまったく未来が見えない」


ベルルスコーニの演出はメディア的には成功したように見えるが、実情はこの有様だ。この話を聞きながら、いよいよイタリアの首相のことが嫌いになった。

ところでパーティの次の日、みなでビーチへ出かける途中、アリストクラティックなカップルの女性が持っている帆布のビーチバックに真っ赤な筆文字で毛主席万歳(万歳だったかどうか、中国語だったので定かではないが、ともかく褒め称える意の漢字であった)と書いてあったのを見かけたので、我慢できずに近づいて「あなたはマオイストなのですか? チベットのことや、今ウイグルで何が起こっているか、知っているのですか?」と尋ねると、困惑したような顔をされた。「北京で買ったのだけれど、意味が分からなかった。自分はマオイストではない」などと言うので、「それは間違いです。漢字がオリエンタルでなんだか格好いい、なんて思って、そんな文字を書いたバッグを持ち歩くなんて、間違っています。それは、『VIVA 毛沢東』という意味です。漢字を読める人が見たら、びっくりしますよ」と伝えた。鬱陶しいと思われただろうが、わたしには、そのようなスローガンのついたバッグを、本当にマオイストならともかく、意味も分からずビーチバッグにしてふらふら持ち歩くなんてことは、絶対に許せないことなのだ。


また、ビーチの世間話では、赤面するような過去の日本の接待の話を聞いた。92年あたりの我が日本国の経済界の人々の外人接待では、国の仕事でやってきているイタリアの官僚をどっかのクラブに連れて行って、「お好きな娘を選んでください」と耳打ちしていたのだそうだ。「女性蔑視も甚だしく、すごく嫌な接待だった。すぐイタリアに帰りたかった」と真面目なイタリアの元官僚の人が言っていたが、わたしはこの話を聞いて大変に恥ずかしかった。前も書いたが、身捨つるほどの祖国はありや としみじみと思うのであった。まさか2009年のこの現在、こんな原始的な接待は行われていないだろう、と強く希望している。

G8も終わり、ラクイラの人々は YES WE CAMP! 

今日は所用で昼間、ローマの中心街へと出かけたが、どこもかしこもG8の交通規制で普通なら20分で済む用事が2時間もかかった。主要道路はポリス、カラビニエリで溢れていて、ちょっと見た感じは戒厳令の恐ろしさでもあったが、その国家の一大事を守るイタリアのポリス、カラビニエリの青年たちは、目の前を大胆なミニスカ姿の素敵な娘さんが通りかかると、一斉にその娘さんに熱い視線を注ぐのであった。まったくローマらしい、と、その一見強面だが、本能に忠実な青年たちを横目で観察しながら、降り注ぐ真夏の太陽で、ちりちりと音をたてそうに熱くなった石畳の上を、わたしはせわしなく歩いて家へと戻った。バスの停留所の場所もG8期間はあちらこちらに変更され、タクシーに乗ると、ぐるぐる回り道になり、歩いたほうが断然早かった。


G8が終わった(胡錦濤欠席の)今日の時点では、『ベルルスコーニ、大勝利(ホストとして)』という見出しがいくつかの新聞サイトのヘッドラインに踊っており、プレスでも、首相自身も「今回のG8は今まで行われたどのG8のなかでも、とりわけすぐれた、意義深いG8であった(何が?)。ラクイラでのG8は大成功だった、参加国首脳に褒め称えられた」という、いつものごとく自画自賛的な発言をしていたが、残念ながら(別に失敗してほしいと思っていたわけではないが、イタリア首相がこんなことをのうのうと言うと、むかっとするのだ)、TVなどの報道で見る限りは、首相の言う通り、環境設定が会議を盛り上げた。今回のG8の主人公であったオバマ首相も発展的なG8であった、と述べ、帰路へついた。


そういうわけでベルルスコーニ首相は、またもや残念ながら、天才的な演出能力があると言わねばならないだろう。G8会場にはりめぐらされた、あまり趣味のよくない、安っぽい感じの山々の写真も自分で選んだそうだが(ヒマラヤの写真であれば、もっと気高く、涼しいG8になっただろうに)、この安普請が、状況と見事に適合して、今回のG8には相応しかった。しかし首相自身はこのG8が終われば、豪邸でデラックスライフを楽しむわけだから、まったく大掛かりな芝居だといえば、「芝居」である。だいたいイタリア首相はメディア王だから、どうすれば人の心を掴むかそのツボは心得ている。問題は、この大きな国際会議が終わった今後。これから、ラクイラがどうなるのかが大切だ。いまだに自宅へ帰れずにキャンプ暮らしをしている家族がたくさんいるが、その人々が今回のG8の一連の騒ぎに抗議するため、会場から見えるよう、なだらかな丘陵にその抗議のスローガン、『YES WE CAMP』と書いてデモンストレーションしていた。うまい!と思った。


オバマ大統領がカダフィ大佐と握手して話し合ったり(つい最近はじめてイタリアに来たときは、カダフィ大佐はあれほどアメリカを非難していたというのに)、ヴァチカンを訪問したり(法王から大統領にプレゼントされたのは「人間の尊厳(原題はDignitas humanae ラテン語)」という2008年に書かれた生命倫理の本だそうだ。教皇と大統領の間で交わされたのはいかに『中絶』を減らすか、という会話。教皇から『中絶』を減らしたいというリクエストがあった。ところで教皇は、オバマ大統領に会って、とてもいきいき嬉しそうだった。まあ、よかった)、ローマのカンピドリオでは大統領夫人たちがローマ料理の昼食会で集まったり、本会議以外にもメディアにさまざまな話題を提供していた。したがってここ数日のイタリアの報道はG8でもちきりで、欲しい情報があまり得られないのは不本意であったが、G8では途上国への多額の援助も決定され http://www.nikkei.co.jp/news/keizai/20090710AT3S1001Y10072009.html これは発展的で素晴らしいことだと思った。そのお金が本当に有意義に使われることを心から願う。


また、ジョージ・クルーニーラクイラに現れたが、彼はかつてローマ市長をしていた左派のヴェルトローニと仲がよく、イタリアで行われる平和会議などにも出席する機会が多く、最近はほとんどイタリアで生活しているのかな、と思うほど、あちらこちらで見かける。ゴルバチョフなどとともにダライラマ法王も出席なさった2007年のローマでの平和会議(それは市長がヴェルトローニ時代だった)にも、ダルフール関係のスピーチをするために現れた。ラクイラでは、「ここを舞台にした映画を撮りたい」と言っていた。


ちなみに欠席の胡錦濤。本国に帰る前にイタリアの800の企業家と懇談し、2,000,000,000ドルのトレードを了解している。とりあえずイタリアとの商談は済ませていた(Il sole 24 ore 7/7 本紙一面トップ)。


さて、G8の話題はどの新聞にも載っているから、これ以上は言及しないが、前のブログで書いたイタリアのチベット青年有志による胡錦濤への抗議活動がパユルに記事として載っている。写真も載っています。
http://www.phayul.com/news/article.aspx?id=25134&article=Tibetans+protest+against+Hu+in+Italy
胡錦濤は抗議を恐れて、ウフィッツェ美術館の見学をオミットしていたんだね。したがってかの有名な「ヴィーナスの誕生」は観られなかったというわけだ。残念でした。しかもフィレンツェの市長からはウイグル地区の争乱に抗議するため、会合をキャンセルもされたようですね(さすが、フィレんツエ、ルネッサンスの都!)。商談はとりあえず相互了解に至ったが、それ以外のイタリア各地訪問は結構さんざんだったというわけで、欧州の『人権活動』を甘くみたらいけないよ、ということだ。

さらに今日、アウンサンスーチーさんの審理が再開された。朝、TVでスーチーさんのニュースが流れ、解放されたのかと一瞬喜んだのだが。http://sankei.jp.msn.com/world/asia/090710/asi0907102023001-n1.htm しっかり注視。


またウイグル地区の抗議活動の発端とされた噂、「漢民族の女性がウイグル男性より暴行を受けた」という話は、http://sankei.jp.msn.com/world/china/090706/chn0907061016002-n1.htm
コリエレ紙では、http://www.corriere.it/esteri/09_luglio_10/delcorona_huang_cina_e8b180ec-6d46-11de-9715-00144f02aabc.shtml その女性本人が、そんな暴行は受けていない。夜に間違ってウイグル人がたくさんいる男性宿舎の部屋へ入ったが、ふざけて追っかけられたりはしたけれど、暴行なんかされていない」と証言している(叫んでいる)とある。これは女性が新華社に語った話だ。この噂が発端となって漢族の人々が鉄パイプでウイグルの人々を襲った。これは噂でこれほど激高するほど民族間の緊張が高まっているということ。一発触発の状態が続いていたということだ。誰もが爆発するきっかけを待っていたのだ。


さらに数日前の新聞記事では、イランもまだまだ緊張が続いている。今回のG8でオバマ大統領は、イランが核武装を諦めるよう、イランとタイトな貿易を行うブラジルの、ルーラ大統領に心から援助を求めたという記事が、il sole 24 oreの電子版に掲載されている。世界の軍縮に同意が集まるなか、軍事予算が年々拡大している中国は,今後どうするのだろう。

http://www.ilsole24ore.com/art/SoleOnLine4/dossier/Italia/2009/G8/giorno-per-giorno/g8-iran-nucleare-lula-obama.shtml?uuid=17514e8e-6c7d-11de-a42f-0ae3d5ec691e&DocRulesView=Libero


核で思い出したけれど、イタリアはいよいよ原子力発電へ踏み切る動きだ。原発がないことがイタリアに住むひとつの理由であったわたしとしては、非常に心配している。

胡錦濤、G8参加せず。急遽帰国。

ローマ、ピサ、フィレンツエとイタリア各地を訪問した胡錦濤だが、多数の死傷者を出した、ウイグル地区の人々と軍の衝突が拡大したため、急遽中国へ戻らざるをえなくなった。昨日はピサ、フィレンツエで有志のチベットの青年たちが「ウイグル地区で起こっていることは、われわれの問題と相似している。チベットに自由を!ウイグルに自由を!」とチベット国旗を掲げ、胡錦濤に抗議するため出かけていた。厳重な警戒下で大きな抗議は出来ず、しかし、胡氏の耳にはしっかりと届くであろう距離で抗議活動を行うことができた。その抗議のため、フィレンツエの警察で一時間ほど足止めを受けたが、もちろん、平和的な抗議活動であったし、また、イタリアの警察も充分に事情を知っているため、話し合いののち、ただちに解放された。


以下、胡錦濤の帰国をリポートしているリップブリカ紙を要約。
http://www.repubblica.it/2009/07/sezioni/esteri/g8-vertice-3/hu-jintao-parte/hu-jintao-parte.html

ウイグル地区で起こった暴動の拡大により、中国主席胡錦濤は、昨夜北京へ向けてイタリアを出発した。したがって今回、ラクイラで開催されるG8に、胡錦濤は参加しない。

Xingjiang地区で起こった、ウイグルのモスリムの人々と漢民族の暴力的な衝突により、今まで150人の死者、249人のけが人、また多数の逮捕者が出ているが、その衝突は、昨日トスカーナ地方を訪れていた中国主席を旅程を大きく変え、ピサの飛行場から北京へと向かわせることとなった。

したがってラクイラのG8には、国際経済の鍵を握る、地球上で最も人口の多い国の主席は参加しない。主席代理がラクイラへ残ることになる。

フィレンツエからローマへ戻る当初の予定は変更され、胡氏は昨夜23時ごろ、ホテルを出て、ピサの飛行場へ向かった。その後、胡氏はXingjiangnの衝突事件のため、北京に急遽戻ったことが報告された。中国大使館の発表は「Xingjiaga地区の内政問題のために主席は北京へ立った」というもの。


胡錦濤氏の今回のG8への参加は、待ち望まれていたものだった。世界的経済危機、リセッション終了の見通し、世界的な経済活動、発展の手助け、その鍵になるであろう中国に期待されていた。胡氏は、オバマ大統領、メルケル首相などとの大切な会談を控えていた。


もちろん、今回のG8でも中国の「人権問題」について無視されることはなかったはずだ。先に行われたイタリアのナポレターノ大統領との会談でも言及がなされていた。

(8 luglio 2009)

ミラノ ダライラマ法王のお誕生日

ここ数年、ダライラマ法王のお誕生日にミラノのチベット仏教センター、Ghe pel lingで行われる法王長寿祈願に出かけている。今年は、いろいろな事が重なって直前までミラノ行きをためらったが、やはり毎年の「けじめ」として土曜日の午後、ユーロスターに飛び乗ってミラノへ出かけることにした。長寿祈願のプジャは日曜の朝、9時からチベットコミュニティの人々や、チベット仏教の信者の人々が大勢集まって行われることになっていた。


やはり出かけてよかった。今年、Ghe pel lingの法王のお誕生日の長寿祈願の集まりは、例年にない特別で、心打つものであった。というのも、22年間、Ghe Pel Lingを支えてこられたThamthog Rinpocheが、ダライラマ法王の僧院であるナムギェル寺の責任者として指名をお受けになったのだ。間もなくダラムサラに向けて旅立たれるリンポチェのための送別をも兼ねたプジャは、たくさんの弟子たちがイタリアの各地から訪れ、大変な熱気のなかで行われた。ウーディネのGheshe Lobsang Pendheもトスカーナのラマ ツォンカパのGheshe tempelもいらしての盛大なものだった。


Thamthog Rinpocheはとてもスマートで知的で近代的な方で、かつてお話する機会があった際に、「仏教はサイエンスですよ。科学的アプローチが何より大切です」とおっしゃったことが、何より心に残っている。ミラノに行く機会があまりないため、リンポチェのお話を伺う機会はあまりなかったが、チベットの人々にも、またイタリアのチベット仏教の信者の人々にも信望の厚い高僧である。またイタリアに住むチベット・コミュニティの人々をも、ことあるごとに寛容に両手を広げてサポートなさってきた。


法王の長寿祈願が終わったのち、リンポチェとともに長くイタリアで過ごしてきたチベットの方々、また信者の方々からの祝辞が送られ、信者の方々はリンポチェが大任を受けインドへ旅立たれることを喜びながらも、ミラノをしばらく離れられることの寂しさから泣いていらっしゃる方が大勢いた。もちろんチベットの方々もみな、涙、涙であった。


「22年前にイタリアにやってきたときは、まだきちんとした仏教センターもなく、本当に数人の信者の方々とともに、さまざまな困難を乗り越えながら、Ghe Pel Lingを築いてきたことをとても懐かしく思います。そして何より嬉しいのは、一番始めにわたしの弟子となった人々が今でもセンターを支えてくださっていることです。あのころはみんな若かったけれど、22年分、歳もとりましたね」


そう鷹揚な微笑みを浮かべておっしゃるリンポチェの言葉に、古い弟子の方々は泣いておられ、祝辞が涙で途切れ、皆から拍手がわき起こった。何もかもがなかなか前に進まないイタリアで、しかもチベット仏教への理解がまだまだ一般的に行き渡っていない時代にこちらへいらしたリンポチェも、リンポチェを信頼し、教えに従ってこられた弟子の方々も大変な苦労をなさったことと思う。


リンポチェはたくさんの弟子の方々の、常に心の支えでいらっしゃった。ストレスだらけ、邪気が渦巻く俗世界(言ってみれば自分の心の反映でもあるけれど)に生きるわたしたちにとって、リンポチェをはじめとする僧侶の方々の存在は、心身をほっと緩ませて、ここでしばらくリトリートして、また再び俗へ、愛し合い、憎み合い、歓喜し、憤りに溺れるあの「俗」へと戻ろう、というエネルギーになる。


だから、わたしは僧籍の世界の歴史にも、人間臭いいろいろなドラマが繰り広げられ、単純に理想化できない、ということを確認しながらも、仏教の教えを守っていらっしゃる僧侶の方々の深い知恵ーそれに従っていくということは、自分の深層にあるユングがいうところの「集合的無意識」、自己の「聖域」とコンタクトをとりうる可能性と考えているがーに真摯に耳を傾けたいと思うのだ。そして、長い長い時間、あの気高く美しいヒマラヤの山々で暮らすチベットの人々にとっても、僧院、そして僧侶の存在は雄大な自然に抱かれる、人間の、なかなか一筋縄ではいかない「心」に滋養を与える「オアシス」だったのではないか、と思う。


さて、今回ミラノへ行って驚いたのは、ずいぶんチベットの若者たちが増えていたということだ。「新しい人が多いね」と友人のチベット青年に言うと、「そうだね。増えたよね」と嬉しそうに笑っていた。また、第三世代のちいさな子供たちが、すくすく成長していることも印象に残った。7、8人の子供たちが僧院のなかで、若い僧侶の青年たちと、走り回ってサッカーをしたり、バスケットをしたりして遊んでいた。みんなはきはき元気がよく、頼もしい子供たちだった。そういえば、現在イタリアにはチベットの青年たちのサッカーチームが出来て、しかも大活躍していて、来週はスイスに遠征して試合するのだそうだ。


そういうわけで、わたしは昨夜遅くミラノから、G8の厳重警戒下のローマへと戻ってきたのである。ウイグル地区が大変な状況のなか、胡錦濤もローマにいよいよやってきたようだ(首脳陣のなかで、一番にやってきた)。ちなみに、ナポレターノ大統領は、ステートメントで「今中国は経済、社会の発展とともに『人権問題』の扉をも開こうとしている」などの発言をしているようだが、これは「解決してくださいよ」という催促なのだろうか(新聞では『人権問題』を解決すべきになっていたが)また、ウイグル地区に関する海外メディア対策を、中国はいちはやく行っているようだが、http://sankei.jp.msn.com/world/china/090707/chn0907070036000-n1.htm G8で非難される前に、牽制している? 

スーチーさんの審理は再度延期されている。

国連事務総長ビルマを訪問したようだが、
http://www.nikkei.co.jp/news/kaigai/20090703AT2M0302C03072009.html
スーチーさんを訪問したいという希望は拒否されたとある。

審理がまた延期されていて、いったいビルマでは何が起こっているのかよく分からないのは不安だ。注視したいと思う。

一方ローマのGuardia di finanza(どう訳したらいいのだろう。警察とか、税関とかではないし、不法な金銭の循環を取り締まる機関という感じか)が、危険性のある中国製の玩具を不法輸入した中国人18人を逮捕。市場に出回れば20.000.000ユーロの利益が上がる玩具の数々が輸入されようとしていたらしい。それも安全性の低い、危険な素材を使用したものだったということ。
http://roma.corriere.it/roma/notizie/cronaca/09_luglio_3/falsi_cinesi_sequestro-1601529626129.shtml
こういうことは、びしびし取り締まってほしいと思うが、最近、中国からの輸入品を検査するために、税関でやたらに時間がかかり、10日前に日本からEMSで送ってもらった書類一式がまだ届かない。イタリアに荷物を送ってもらうと、アジアからの品ということで、税関で必要以上に調べられ、そもそも仕事が遅くて、無責任なイタリアなのに、いつまで経っても荷物や書類が届かないのは迷惑な話だ。そしてまた、危険な玩具を輸入しようとするなんて、中国の人々にも早く、次代を背負う子供たちを愛する「やさしい気持ち」を養って、これ以上イタリアの郵便事情を混乱させないようにしていただきたいものだ。不正を犯してお金持ちになっても、幸せにはなれないよ。欧州に肩を並べたいのなら、こんな不法行為や幼児売買(信じられる?このモラル)http://sankei.jp.msn.com/world/china/090703/chn0907031928005-n1.htmなんてしている場合ではないのでは? 

ところで数日中には胡錦濤がG8の絡みでローマにやってくるはずなので、こういう困ったことをイタリア政府は直訴してくれないと。「お宅から、こんなひどいものが送られてきてますよ」とね。政府が言えないのであれば。わたしが胡さんを直接訪問して、いろいろ伝えたいことがあるくらいだ。
G8のせいで、やたら警戒が厳しくなり始めたローマだけれど、ラクイラでの会議はどうなるんだろうか。ラクイラの人々は戦々恐々としているみたいだが。


ところで、コンピュータに検閲ソフトを設置する中国の法案は延期されたようで、これはいいことだね。これ以上ネットを規制するな、という声を政府も軽く観られなかったというわけで、いい傾向だと思う。ネットからヴァーチャル民主主義が生まれるかもしれない。
http://sankei.jp.msn.com/world/china/090701/chn0907012144005-n1.htm
期待しているよ、チャイナ。時代はすでに大きく変化しているのだから、いつまでも情報規制していると、人々が爆発してしまう。

http://jbpress.ismedia.jp/articles/-/1316
中国に必要なのは、「魂の救済」「新たな社会政策」とこのコラムにも書いてあるし。次のチベットとのネゴシエーションでは本腰を入れて、真摯に未来を見つめてほしいものだ。まず、次ぎの日程を早急に決定してほしい。