チベットを巡る、ここ一週間のイベント

昨日、今日とチベット内部では、当局に拘束されていた尼僧が亡くなったり、カム地方で数百人のチベットの人々の平和抗議運動が起こって、当局の武力によって妨害されるなど、心配な状況が続いている。


そんなチベットの状況を背景に、今週一週間、イタリアではいろいろは催しが開催される。その「人権デー」を巡る催しで、わたしが把握しているものをいくつかここに紹介したい。

その1 ローマ

何度もチベットダラムサラに通い、子供たちを見つめてきたマリリアさんとジョバンニさんの写真の展覧会。この写真展にはローマに住むチベット人の青年なども協力し、ローマのサポーターも集まる予定。わたしもコンファームしています。

その2 トリノ

トリノで開かれるチベットの「自治」か、それとも「独立」かを巡る討論会。
ダライラマ法王の提唱される「中道路線」と亡命政府の提起するメモランダムに関して。また非暴力による解決とチベットと中国の連邦主義について、がテーマ。
ピエモンテ地方の議長、イタリア国内の各地方自治体の有志により構成された「チベット問題」アソシエーション代表、人権学者、チベット・ビューロー(スイス・ジュネーブダライラマ法王欧州代表、ラディカーリ議長などによるスピーチのあと、会場の人々たちとともに討論会が開かれる。
わたしはこの討論会をぜひ聴きに行きたいが、ウィークデーにトリノは不可能。残念。

その3 ミラノ

ヨーロピアン・チベットカップ イタリー
ミラノでは12日、13日にチベタン・コミュニティ・イタリア主催によりスイス、英国チーム、イタリア ”ボッギャロ”(「フリーチベット」と訳すのでしょうか、それとも「独立!チベット」と訳せばいいのでしょうか)チームでサッカーの試合が行われる。イタリアのチベタンコミュニティ初の試み。ちなみに今年12月からコミュニティの代表が変わった。今期のコミュニティ代表は若い利発な女性、ケルサン嬢、皆が大きな期待を寄せている。わたしはこのサッカー大会に日曜だけ、日帰りで行ければ行きたいと思っている。

その4 アムステルダム

これはイタリアではないけれど、今日友達がメイルで送ってくれたので追加。アムステルダムでは、こんな素敵なイベントが開催されるようだ。インターナショナル・キャンペーン・フォー・チベット等の主催。

フィアット&クライスラー アウンサン スーチーさんへ捧げる広告

フィアットクライスラー、”ランチア”の新しい広告。
Youtubeから、英語版を拾って、ペーストしておきます。

先頃クライスラーと企業提携したフィアットの企業姿勢にはいろいろ問題も感じるが(中国とのタイトなトレードや、雇用者への待遇など)、このようなメッセージが商業広告として一般に流布するのはとてもいいことだと、個人的に思う。「商業広告」とはそういうものだ。消費を促さなければ意味がない。
英語、もちろんイタリア語、フランス語、ドイツ語など欧州圏の言語でカヴァーされているのも、フィアットのマーケット拡大の野心とともに、欧米の普遍的な理想が表現されてていい感じだとも思う。フィアットはそもそも、安価な大衆車のイメージがあるけれど、ここ数年、高級車”ランチア”で勝負している。イタリアに住んで、ときどきフィアットのいろいろなニュースを見たり、聴いたりしていると、フィアットランチア=「人権」「世界平和」というのは、ちょっとすぐには馴染めないコンセプトというか、あれ? ちょっとopportunisticかな、ランチアと「自由」とどう関係しているんだろう、とも思うけれど、商業的な目的であれ、このようなコンセプトが世界じゅうで「流行」となれば、他の企業も追随して、いよいよ「世界平和」がインとなり、もっと住み良い世界になることと思う。エコだって、一種の産業となり、グリーン・アドでまたたく間に流行になったしね。人々が暮らしよい未来のために、よいものはどんどん流行になるべきだと思う。


実際、最も力があるのは、実際に大きなお金が動いている産業界の動きだ。日本のインターナショナルな企業にも、世界をあっと言わせるような広告で、インターナショナルキャンペーンを行ってほしいものである。
ところで、フィアットは中国語とか、アラブ語とかで同じ広告を展開しないんだろうか。中国とタイトなトレードをしている大企業には、そんな冒険もしてほしいとも思ったりする日曜日であった。
とはいえ、この広告はとても素敵には違いない。がんばれ、フィアット


そうそう、コペンハーゲンサミットについてのこんな記事が・・。http://jbpress.ismedia.jp/articles/-/2296

リチャード・ギア氏を断固として応援する!

下院議会でチベット会議の開会式が行われた日、下院の前のモンテチトリオ広場をうろうろしていると(と書くと何か怪しげな雰囲気だが、その日のわたしには、わたしなりのささやかな役割があったのです)、高校生くらいの子供たちが、カメラを片手にやたらに広場に集まっているのに気がついた。あれ〜? 何でだろうと思ったが、イタリアの子供というのは、意外に政治に興味を持っていたりして驚いたりすることがあるので(特に大学生は明確な意見を持っていて、わたしのように右でも左でも別にどうでもいいや。チベットを応援してくれる政党が何よりだ、と思っている外国人は簡単に論破される)、別段気にもとめなかった。見学かもね、と軽く思ったぐらいだ。


しばらくして、広場を横切ろうとわたしが歩き始めたその時だ。突然、きゃあ、という悲鳴のような声があたりに響いたかと思うと、その子たちが突然群れをなしてわたしの方に突進してきたのだ。わたしのほうこそヒイ、と悲鳴をあげたが、あれよあれよという間にもみくちゃにされ、いったい何が起こったのか何がなんだかさっぱり分からず、一瞬目の前が真っ黒になった。とその時耳元で「リチャード・ジアー(*1)」という声が聞こえて、はっとする。そしてようやく合点がいったのだ。あ、そうか、この子たちは会議に参加しているリチャード・ギア氏を一目観ようと広場に集まっていたんだ。日頃から注意散漫のうえ、ど近眼のわたしは氏が広場に降りたことにちっとも気がつかなかった。あれあれ、どこだろう、と周りを見渡すと、わたしのすぐ1メートルほど先に、プラチナブロンドの素敵なギア氏がにこにこ笑いながら、群れをなして押し寄せる子供たちと握手していた。かっこよくて、思わず見惚れた。


(*1)ちなみにイタリア語ではGereの綴りを間違ってジアと発音する場合がよくある。そのGの発音で、他に例をあげれば8GBと表記した場合、ほとんど誰もが、8ジガバイツと発音し、「すみません、16ギガバイツのipod見せてほしいんですけれど・・・」と電気屋さんで尋ねると、「16ジガバイツ、ジガって発音するんだよ。イタリア語、もっと勉強しないとだめだよ」と叱られる。これは失礼、そうそう、そうでしたね。ジガですね。それです。その16ジガバイツのipod見せてください、とわたしも素直に発音をイタリア風に正すのだ。Do as Romans do. 郷に入れば郷に従え、である。


そんなわけでギア氏を近くでお見かけし、日頃のその素晴らしいチベットサポートを心から尊敬するとともに、いわれのない親近感を抱いていたところ、昨日の朝、先に起きてSKYニュース24を観ていた同居人が、「リチャード・ギア、ニュースで批判されているぞ」と言うので、慌ててTVの前に座る。
で、この記事です。Il sole 24ore電子版に短い記事が載っていたので、以下にざっくり簡単に意訳することにします。

http://www.ilsole24ore.com/art/SoleOnLine4/dossier/Italia/2009/commenti-sole-24-ore/03-dicembre-2009/Richard-Gere-a-Copenhagen%20.shtml?uuid=0457bcba-dfdb-11de-bb10-a6c8fe24412b&DocRulesView=Libero&fromSearch  

サミットの「理論」と「実践」/コペンハーゲンのリチャード ギア


ニューヨークから北に車を走らせて約1時間の田園地帯にベッド&ブレックファーストを建てる際、200本の樹木を伐採するための許可をリチャード・ギア氏はダライラマから得たのだろうか。多分許可は得てないだろう。確かなのは、リチャード・ギア氏はWestchesterの伯爵領の持ち主に森林を伐採するための許可を得てはいなかったということだ。その時点まで彼の計画はうまくいっていたというのに、リチャード氏がきちんとした手順を踏まなかったのは残念なことだ。彼は古い農地を買い取り、ゴージャスな別館に住むために建物を修復し、そこを訪れるツーリストにリラックスした時間を提供しようとしていた。厩舎をつくるために許可なく周囲の樹木を伐採するまでは、彼は完璧な環境保護主義者として、その周辺の人々からも良い評判を得ていたのだが・・・。

この件でギア氏は250本の無許可の樹木伐採の罰金として5万ドルを支払うことになる。確かにこの罰金は、それほど法外なものでもないが、インテリの環境保護アクティビストとしての氏の清いイメージはかなり損なわれることになるだろう。しかし考えてもみよう。コペンハーゲンの環境サミットのテーブルには何人ものリチャード・ギア氏が座って論議することになるのだ。つまり母親に、ジャムを食べたでしょう、と言われた子供が両手にべっとりジャムをつけていながら「食べてないよ」というのと同じで、偽善的なメンバーがサミットをリードするということだ。自分の家(領土)では好きなだけ環境破壊を行うくせに、他人を批判する、というような参加者によってコペンハーゲンのサミットは開催されるということだ。


短い記事なのに随分辛辣に、しかも皮肉っぽくギア氏を批判する表現のうえ、環境サミットの参加者のメタファーにするとは!(だって中国主席も出席するんじゃないの? サミットって。オバマ大統領は出席するみたいだけれど・・・)と思った。

基本的にメディア一般、グッドイメージの著名人に意地悪で、常に何かネタになりそうなほころびを見つけて攻撃しようとするが、il sole 24oreのこの記事もその論調で、けっこう信頼している経済紙なので、がっかりした。もちろん、無許可で樹木を伐採したことの責任は所有者であるギア氏にあるのは当然だと思うが、ギア氏のように『俳優』という職業を持ちながら、常に海外であちらこちらの会議に出席しなければいけない多忙なアクティビストが、建設中のB&Bの工事の課程すべてに立ち会えるわけはないし、非常に高い確立で、森林の伐採に許可を取る必要があることを知らなかったとも考えられる。あるいは彼自身知らないうちに、工事に携わる人々が「これ、邪魔だ。切っちゃおう」と勝手に伐採したのかもしれない。それを、樹木伐採! 無許可! と今までの善行がすべて覆されるようなレトリックでのこのような報道、メディアの大げさな反応に、わたしはちょっとした悪意を感じるのだ。さらに朝のテレビのニュースでは、かなりの批判論調だったので、ああ、またか、とマスメディアの「何でも大げさに騒ぎ立てる」姿勢にうんざりした。この、ちょっとしたことを驚くほど大げさに報道する姿勢は、どの国も一緒でもある。しかしだいたい報道しているジャーナリストたちは、ちゃんとゴミを分別して捨てているのだろうか。他人のことなど眼中にないイタリアのゴミ分別は絶望的だよ。あなたの両手にもジャムがついているんじゃないの、とわたしは言わせていただきたい。


ところでそのギア氏だが、チベット会議のあと、11月29日放送のChe tempo che fa という人気のあるトークショーに出演したが、イタリアのメディアではあまり報道されなかった今回の下院議会でのチベット会議が非常に有意義であったということをまず最初にきちんと言及したあと、毛沢東チベット侵攻を奨めたのはスターリンだったという証拠ドキュメントが発見され、それが検証されつつあることにも触れるという、大変に興味深いトークショーであった。
実際、氏の清いイメージはこんなことぐらいでは、決して損なわれることはないのである。

チャットで懲役3年? これはひどい。

今日、Phayulを読んでいたら、チャットサイトにダライラマ法王関連のファイルをプロフィールに載せていたチベットの青年が懲役三年の刑を受けたという記事があった。
http://www.phayul.com/news/article.aspx?id=26116&article=3+years%27+imprisonment+for+2+Tibetans+for+Dalai+Lama+contents+on+chat+site
その他にも数人の十代の青年たちが当局に連行されて行方知れずになっているということ。チャットサイトにファイルを載せていただけで懲役? 行方不明? 絶句した。


今後の世界を担うネット世代の青年たちの表現の自由を、こういう形で奪うなんて、なんということだ。自宅で誰か友人とチャットしていると、突然ポリスが訪れて、うむも言わさず連行されそのまま行方知らず、なんて、ネットこそが世界の動脈となり(今やクリックひとつで、勘定不可能な巨額のお金が世界じゅうを循環し、あらゆる事件のニュースも情報も一瞬のうちに駆け巡るのに)、人類をひとつの有機体として機能させている新千年紀に、時代錯誤も甚だしい蛮行だ。


血液の循環を無理に止めると人間の身体が少しづつ蝕まれていくように、ネットに載せた人の想いを無理にせき止めると、やがてそれは全体を致命的に蝕むかもしれない。自己中というコンセプト、それに伴ういかなる形の暴力も、もはや時代遅れだ。人と人の間で伝達される情報がネットという異次元の織物に見事に編み込まれ全体を形成する時代には、それははっきり言ってアウト。もはやわれわれは、ネットというヴァーチャルなフィールドで、観念的にではなく、物理的に繋がっている。ネット上では政治的国境こそが、現実ではなく「観念」だ。そんな時代に、中国当局の、このいつまでたってもネットをデュアルにしか捉えられない姿勢は、人類の未来にもフィルターをかける『蛮行』以外の何ものでもない、と強く意思表示したい。
























 

ローマは、そしてウイグルにも熱い。

ダライラマ法王がローマにいらして、第五回世界議員チベット会議が開かれたかと思ったら、突然メイルが来て、Partito Radicaleの本部にラビヤ・カーディルさんを迎えてミーティングがある、ということ。ラビヤさんといえば、あのウイグルの母ではないか。今年6月のウイグルで起きた蜂起運動の際、あれこれネット上で記事をみつけ、なんと素晴らしい女性だと感嘆していた(参照、たとえば http://sankei.jp.msn.com/world/china/090801/chn0908011801002-n1.htm)。ラディカーリ(革新党と訳すと、なんかどうもピンとこないので、普段発音しているままで記すことにする)はすごい!と驚愕する。チベット会議がイタリア政府、下院議会内で開催されたのも、ラディカーリの尽力によるものだ。あれからまだ一週間も経っていない。


ラディカーリはそもそも非暴力で人権問題を解決しようと強い意志を持って、政治に取り組んでいる希有な政党。間もなく80歳を迎えるというのに、今でも夜行電車で移動なさるというパワフルな党創設者、マルコ・パンネーラ(ヨーロッパ議会議員)氏は、ガンディアーノ(ガンディーを心より尊敬し、その生き方に従う人)で、今でもたびたび抗議のハンガーストライキを決行なさる。カリスマ的で、非暴力で人権問題を解決しようと志すイタリアの老若男女に愛されている人物だ。http://en.wikipedia.org/wiki/Marco_Pannella
また、ちなみに現在の下院議会の副議長はラディカーリのボニーノ氏(大変に有能な女性議員)でもある。


イタリア、というとベルルスコーニ首相ばかりが世界に面白おかしく紹介され、国じゅうが全員ベルルスコーニの支持者であるかのように、まったくいい加減でお気楽な国民性、と世界の人々に思われているようだし、へえ、イタリアって本当にとんでもない国だな、と思うような内閣の人選もあるが(今週のTIMEの記事『イタリア首相はどのようにイタリアの文化を変えたか』に、トップレスモデルから大臣!<equal oppotunity省の>に首相から任命されたMara Carfagnaへの言及があった。綴りのままでネットでググるとかつてのプレイメイトみたいな写真も出てきます)、そんな奇想天外な政治ばかりがイタリアの政治ではないのだ。弱い立場にいる人々を心から応援しようとする政治家も大勢いる。


そういえば、かつてチッチョリーナというポルノ女優から政治家に転身した人物がいて(日本でも有名になりましたが)、彼女もラディカーリの出身だが、彼女は誰かに任命されたわけではなく、大胆な人柄と政策が人々を魅了し、民主的に議員に選出されたという経緯があり、現在でもイタリアの人々からはおおむね高い評価を得ている。わたし自身は、もし参政権を持っていたならば、断然ラディカーリに一票入れたいと思っており、イタリア在留外国人にも選挙権が与えられるといいが、と常々考えているのだ。


早速ラディカーリに出かけると、チベット人の友達やチベットサポーターの人々もやってきていて、チベット会議は素晴らしかったが、なぜイタリアのメディアが会議の内容を大々的に報道しなかったか、まったく理解に苦しむ、そうだ、そうだ、スカイ24ニュースだけ(首相と世界を股にかけて勢力争いをするマードック氏所有の衛星放送SKYのニュース)だったよね、新聞はどうだった? などとイタリアメディアの批判をしていると(イタリアのTVの90%は首相のコントロール下にあるといわれる。こんなイタリアにいったい表現の自由はあるのだろうかと、最近首相への抗議の報道が相次いだが・・・)、パンネッラ氏がラビアさんの手をとってサロンに入ってきて、途端会場は満場の拍手に包まれた。長身白髪でかくしゃくとしたパンネッラ氏にいざなわれる、長い銀色の髪を三つ編みにきれいに編み、美しい灰色の瞳を持ったラビヤさんは、凛とした気品のある東トルキスタンの婦人で、わたしは彼女が会場に入ってきた途端、シルクロードに吹く風と微かな鈴の音を聴いたような、幻想的な気持ちになった。


パンネッラ氏に紹介されたあと、ラビアさんはイタリアではあまり知られていないウイグルの状況を簡単に紹介し、ウイグルチベットと同じように純粋な自治を中国に望んでいることを、集まった人々に訴え、ご自身も6年間、刑務所に収監されたこと、ご自身だけでなく、ご主人、ラビアさんのご子息も中国当局に逮捕され、囚われの身となったこと、また現在もご子息が囚われの身であることを話された。今回の来伊は、ご自身の自伝がイタリア語に翻訳され、その本の紹介にいらしたこともあり、あまり多くをお話にならなかったが、短い時間のミーティングではあっても、有力紙に執筆する著名ジャーナリスト、フリオ・コロンボ氏も出席しての、意義のある、また現状を再認識するためにも、きわめて有益なミーティングであった。現在、非暴力の抗議行動で中国当局に逮捕されているウイグルの人々は18000人。その多くは北京オリンピックと今年6月の漢人との衝突の際、抗議運動に参加した人々だということだ。また漢人との衝突の際、何人もの人々が命を落とした。


会に出席したフリオ・コロンボ氏は、ラビヤさんが今こうして世界を駆け巡り、人々にウイグルの状況を訴えていること、その業績は、われわれ人類の歴史から決して消えることのない尊いことである、と話し、また、彼女のアクションがわれわれ人類の未来のための『希望の種』であると表現した。また、われわれがやらなければいけないのはその『希望の種』を風にのせて世界じゅうに広げていくことだ、それがわれわれの仕事だ、と話し、会場が湧いた。


ミーティングのあと、紹介された本を購入し(彼女の波瀾万丈な自伝を読むのは今から楽しみだ)、サインをしていただこうとラビヤさんに近づくと、東洋人のわたしをちらりと観て、満面に微笑みを浮かべて何か中国語で話しかけられた。中国語がまったく分からないわたしが「申し訳ありません。中国語が分かりません。わたしは日本人です」と言うと、今度は途端に大きく手を広げてわたしを抱擁され、驚いた。そしてラディカーリの人々に振り向き、「日本は素晴らしいのです。たくさんの方々がわたしたちを助けてくれるのです」とおっしゃった。わたしはその言葉に、久々に祖国をとても誇らしく思い、ラビヤさんの柔らかい手のやさしい温もりに感激し、涙ぐんだ。大変な人生をお送りになったことと思うが、そのちいさな身体からは「愛情」が溢れ、深い人間性がオーラとして漂っている、という印象が大きく残った。改めて、ウイグルの人々のこと、もちろんチベットの人々のことを、わたしは深く考えた。


ところで、チベット会議にも、ラビヤさんとのミーティングにも、毎回おなじみの自称中国のジャーナリストが部下を引き連れ現れる。また現れるだけではなく、ダライラマ法王のプレスコンフェレンスのときにはちょっとした緊張を伴ったシーンをも、彼は演出したようだが、わたしたちサポーターたちは最近、この自称ジャーナリストという人物について「愛情」に近いものを感じている。心を割って話し合ったら、意外に分かり合えるかもしれないとも思うのだ。どこにでも現れて、率直に意見を述べる(それが偏った考えであったとしても)姿勢には、彼なりの真摯さをかいま見ることができる。そしていつか誤解が解け、彼らもともに同じ未来を見つめることができれば、どんなにか素敵なことだろう、と思うのだ。

デジカメが壊れたので、最近写真が撮れない。日本に帰って新しいのを買うまでは、こうしてどなたかの写真をお借りします。これはマリリアさん撮影のものを拝借しました。


 

チベットに熱いローマ  The 5th World Parliamentarians Convention on Tibet

ブログを書かなくなって、あっという間に4ヶ月が経とうとしていて驚いている。光陰、矢のごとし。時間が経つのがあまりに早いので、気がつかないうちに地球の自転が早くなっているのではないか、とも思わず考えた。

ここ何ヶ月か、ブログを書かなかった一番の理由は、というと、ブログを書くうちに細部の情報に目を奪われ、大局を見失いそうになっていることに、ある時はっと気づいたからだ。さらにある時点から、ブログというメディアに飲み込まれてしまうような、心理的な圧迫感を感じた。そのうえ気も散って、個人的などうでもいいようなことを書き始めたうえ、繰り返しも多く、これではあまり意味がない、と自制することにした。
ブログを書かない間、TwitterにTryとも思っていたが、いまひとつTwitterを使いこなせず、結局Facebookのみに終始した。しかし、訳そうと思っていたチベット医学と西洋医学の接点に関するPagliaro先生の論文が中途半端になっているし、今後、かなり間があきながらの更新になるとは思うが、気長に続けていきたいと思っている。また、イタリア発のニュースがあれば、UPしていきたいとも思っています。


ところでずっとブログを書いていなかったので、ハリシュマはチベットのことを忘れて、ぶらぶらサハラ砂漠にでも出かけたんじゃないかと思っていた、というようなメイルを日本の友人からいただいたりもしたが、実はほとんどじっとローマに居た(仕事で圏外に出かける以外は)。そして忘れるどころか、むしろチベットのことしか考えていないというような日々を過ごしていて、しかもこの傾向に、ちょっと困ってもいる。というのも他にもいろいろ勉強しなくてはいけないことがあるのに、さて、始めるか、とコンピュータの前に陣取り、チベット以外の勉強に着手した途端、ZZZZ・・と眠たくなってしまうからである。したがって、この傾向をしばしば反省もしていて、最近は『禁チベット』の時間を個人的に設け、一日のうち数時間は、気になってしかたないチベットから遠ざかるという難行を決行ちゅうだ。チベットとはいえ、『執着』はやはりいけない。また大局が見えなくなってしまう。


さて、この4ヶ月の間、ローマにいながら、チベット文化のいろいろな側面を見たり、聴いたりする機会があった。また、シエナで開催された民主主義のワークショップに参加するために訪れた、インドで学ぶチベット人の大学生、院生たちにも会う機会があった(彼らはモティベーションが崇高で、まるでスポンジのように、あらゆることをぐんぐん学ぶ素晴らしい学生たちで、わたしは心から感動した)。さらに他にもチベット人のいろいろな方にお目にかかったり、お話を聴きに伺ったりもした。このようにチベットにも、インドにも一度も行ったことがなく、ローマにいながらチベットのさまざまな面を知ることができるのは、Tibet Issueが訴える本質がユニバーサルな価値観に合致していて、その事実がイタリアの人々におおいに理解され、また大切にされているからだと再確認する。実際、Tibet Issueに何らかの形で関わるということは、今現在のダイナミックな世界の動向、そして息吹きを感じることでもあると、ローマに居ながら常々わたしは考えるのである。


もちろん、Tibet Issueはローカルな問題であるが、中国が世界にこれほどの影響を持ち得るようになった(と思われる)この時点で、あらゆる世界の問題(環境問題、人権問題、核問題、国際法の問題など数えきれないほどの問題)を凝縮した世界の今後の指針を示すKey Issueだとわたしは信じている。日本人であるとか、イタリア在留外国人であるとかいう以前に、これほど世界が狭くなった今、政治的国境を超えるスタンスに立ったうえで、新しい千年紀に生きる人間の一人として、Tibet Issueに責任のある態度をとるべきだと思うのだ。


ところで、Phayulなどでもニュースとして言及されているが、11月の18日、19日の両日、ローマにて、世界30カ国を超える参加国から133人の議員を迎え、またチベット亡命政府からは15人の代表者が参加し、The 5th World Parliamentarians Convention on Tibet「第五回世界議員チベット会議」が開かれた。これはイタリアのPartito Radicale(革新党と一応訳しておきます)、かのリチャード・ギア氏がチェアマンを務めるICT(International Campaign for Tibet)、チベット亡命政府議会により企画され、実現したもの。

会議の公式ステートメントは → http://www.savetibet.org/media-center/tibet-news/rome-declaration-tibet

また、以下のサイトでは、会議の全てをヴィデオで観ることができる。英語ヴァージョンをリンクしておきます。

The 5th World Parliamentarians Convention on Tibet VIDEO
第一日目
http://www.radioradicale.it/scheda/291299/quinto-congresso-mondiale-parlamentare-sul-tibet-sessione-inagurale-e-plenaria-prima-giornata-versione-in-

第二日目
http://www.radioradicale.it/scheda/291300


法王のスピーチはもちろん、錚々たる面々の大変に意義深く、熟考を迫られるスピーチが多くあり、チベット問題に関わっている方々だけではなく、たくさんの方々に見ていただきたい内容だ。
会場はイタリア政府、下院議会で行われたが、会議の行われる前に、下院のフィーニ議長は公式にダライラマ法王と会談し、会議の会場まで法王の手を取り誘った。日頃、イタリアの政治の混乱に、もう政治関係のニュースを追うのはやめよう、と思っていたわたしだが、このニュースは大変に嬉しく、ローマに住んでいて本当に良かった、と思った。何より法王はローマの名誉市民なのだ!


法王のスピーチをはじめ、その他の重要なスピーチを聴き、個人的にいまいちど再確認したことは、わたしたちは決してアンチチャイナではないということだ。むしろ、チャイナを助けよう、という気持ちで関わっていかなくてはならない、そう思ったのだった。実際、対立からは悲劇以外に何も生まれない。チベット問題を解決することは今後のチャイナにとって、名実共に世界に君臨するための大切な道のりになるはずだ。


そういうわけで、他にもいろいろ書きたいことはあるが、またおいおい書こうと思っている。今日のところは会議のサイトの紹介をまず。この先、本当にゆっくりになることと思うが、少しづつ更新していければ、と思っている。


そして最後になりましたが、ブログを書かない間にも、訪問をしてくださった方々がいらっしゃったことに、心より感謝しております。
本当にありがとうございました。








イタリアはバカンス入り

日本のネットの世界で活躍しているという青年のビデオインタビューを観て、ほおっと思ってブックマークしておいた。日本の若い青年層の精神性を分析するのに、今後役に立ちそうだと思ったからだ。「新聞は読まない」理由は、だって自分の住んでいる世界には関係ないところで起こっている話を(たとえばウイグル地区のことを例にあげ)読んでも意味ない、という発言、インターネットはどうせ暇つぶしにみんな使っているんだから、という発言、わあ、やっぱりこの世代はこう思っているんだ。彼の発言こそわたしが日本の若者に感じていることだなあ、と思ったのだった。こういう青年にとって、自分と自分の周囲だけが世界なんだな。宇宙全体が有機的に繋がっていて歓喜のダンスを踊っている、とは考えられないから、こういう発言になるんだろう。


70年代の青年も「しらけ世代」とか言われたらしいが、わたしは2000年世代も、社会への(MJだって20年前にWe are the worldって歌ったのに)コミットメントが希薄だなあ、と思う。まあ、いろんな若者がいるとは思うけれど・・・。彼はネットという、宇宙みたいな無限のスペース上でビジネスしているのに、これじゃまるで内輪で楽しむ国内ネット、暇つぶしな情報鎖国だな。寂しいことだが、日本の青年に大望を持ってほしいと期待するのはあきらめて、このまま日本情報文化のおたく化を、これもよし、島国だからしかたない、と思うしかないかもね、としばしデカダンな気持ちにもなる。いやいや、そのうち、いい感じのミュージシャンとかアーティストが現れて、グローバルに日本の深層を表現してくれればそれでいいさ。がんばれ、アーティスト! そして少なくとも、英語だけはしっかり身につけるのだ。昔、外国の言語をいい加減な気持ちで勉強したわたしは、いま外国で苦労しているから声を大にして、そう叫びたい。どんなに素晴らしい、天才的なアイデアも、伝達手段がなければ、風に舞い散る砂塵でしかない。世界は大きいよ。


ところでスーチーさんの判決がまた延長したようだ。こうして延長、延長を繰り返して、不気味な沈黙を保つことによって、当局は世界の関心を遠ざけようとしているのだろうが、バカンスに入っても、ビルマ関係のメイルはぐるぐる回ってくる。バカンス中でも、みんなネットでちゃんとリサーチして、連絡を取り合っているのは、たのもしいことだ。


暑い暑いローマは人通りがぐんと少なくなった。イタリアはいよいよバカンスの季節、わたしもしばしフェードアウトして、あっちこっちに足を伸ばす予定。チベットのことも、もっと勉強する計画を立てている。しばらくは実験的にTwitter中心にしてみようかな、などとも考えている。ブログも書こうと思っているけれど。

ところで、このところ、イタリアについても、日本についても批判的なことばっかり書いているが、本当のことをいえば、わたしはイタリアのことも、日本のことも、世界のことも、とても愛していて、みんなができるだけ自由にのびのび暮らせればいいのになあ、と思っている。こんなに世界が近くなったんだから、一人一人が自覚を持って暮らして行けば、世界のどこかで大変な状況で暮らしている、知らない人々のためにも、ちいさい助けになるかもしれないじゃないか、と思うのだ。ミクロはマクロと繋がっているし、マクロはミクロと繋がっているし、いいエネルギーを発すれば発するほど、自分にも帰ってくるんではないかしらん。愛の対義語は「憎しみ」ではなく、「無関心」というのを昔誰かから聞いて、なるほどね、と思ったが、人を慈しみ愛することは、身体的にも健康をもたらす、とときどき激怒のあまり、体調を狂わすわたしは、身をもって体験するのであった。そういうわけで、バカンスはI LOVE YOUではじめたいと思っていま〜す。